アナスク「アナウンススクール」
局アナ・女子アナ目指すなら東京アナウンスセミナー「アナセミ」へ

選ばれる理由がここにある!!

MESSAGE

ア行

浅田 麻梨乃 【3期生】
 前略 永井先生、東京アナウンスセミナーの皆様、いかがお過ごしでしょうか。
 発声練習の声が響くアナセミのドアを緊張した面持ちでノックしてから早2年。私は今、アナウンサーとして慌ただしくも充実した日を送っています。毎日「頑張りましょう」と差しのべて下さった永井先生の手の温かみや、カウ ンセリングを受けるときの皆さんの真剣なまなざし、内定が出たときの心からの仲間の笑顔、涙・・・、アナセミで出会った全てのものが私の中で息づき、今の私の原動力になっています。
 私がアナセミで学んだことは、アナウンスの基本的な技術にとどまらず、その夢に向かうまっすぐな力の大きさで あったように思います。何度も面接に落ち、自分が信じられなくなったり、周りの友人が内定をして焦燥感に駆ら れたりといったなかでも、「念ずれば花開く」という永井先生のお言葉が私の支えとなりました。どんな小さな夢で もそれを信じられるからこそ、人はいまを生きていけるのではないでしょうか。
 今度は私が、アナウンサーとして、そうした夢を追いかける人々の応援をしていきたいと思っています。アナウン サー受験を通じて、生涯の恩師・友と出会えたことに深く感謝しています。「一つ屋根の下」東京アナウンスセミナ ーが、これからも多くの人の夢を叶える入り口であり続けることを祈っています。
                                          草々
追伸  また皆さんと朝まで庄やで語り合える日を楽しみにしています。

麻生 和寛 【14期生】
アナセミに来て、毎回成長している自分がいました。

なぜなら、先生方が色々と指摘をしてくれたからです。
その中でも印象に残っている言葉が3つあります。 

1つ目は、《サッカー馬鹿!》
一つの話しか出来ず、他の話題に乏しかった私にピッタリの言葉でした。
他の話題も話せるように引き出しを多く持つべきという意味です。

2つ目は、《胡散臭い政治家!》
演説口調のようになり、本音を話さず着飾った自分がいました。 
ありのままの自分の姿で、普通に話せという意味です。

3つ目は、《あなたと話していてもつまらない!》 
全て、話の密度が薄くて、中身の無いものばかりでした。 
常に「なぜだろう?」と考える癖が必要であり、深い話をするという意味です。

毎回、アナセミに行くと名言を言われて、自分の胸に刻みこまれました。 
アナセミがあったからこそ、私はアナウンサーになれました。 
ありがとうございます。


有村 昆 【社会人】
 「自分がやりたいことは、今始めないと後悔する」
 一度しかない人生、思い切りやりたいことを貫く。
 やりたいことなのだから、どんなにつらくても出来るはず!常に自分に問い掛けてみてください。
 「私の夢」を「私の予定」と書き換えただけで、こんなに近づいた。千里の道も一歩から。具体的に今何をやるべ きか?です。
 「ヒューマンネットワーク」人生で一番大切にしたいモットー。この言葉を教えていただいたのは、もちろん永井先 生です。今正直僕は、永井先生のおかげで、喋り手という仕事が出来ています。本当に感謝の気持ちでいっぱい です。皆さんも今後社会に出て、いろんな方とお会いするでしょう。その出会いこそがあなたの人生を変えるので す。
 よき出会いを。頑張ってください、応援しています!! Good Luck!


五十嵐 圭 【2期生】
 永井先生は、私に様々な受験の知識と、ある「雑誌」をくれました。...面接、いや、書類すら通らなくて落ち込ん でた時だったのですが...
 「PHP」の雑誌をくれたのです。そこには、既卒で何年も試験を受け続け、ようやく30歳の大台目前にしてアナウンサーになった方の話が載っていました。限りあるバックナンバーだったと思いますが、先生はそれを私にプレゼントしてくれた のです!そう、これはつまり、「粘り勝ちせよ!」との激励でした!
 それから、無事にコミュニティFMに就職。しかし、これでは自分の目標である「報道」が出来ない...!という事で、 私は再び永井先生の下で粘りました...。そのうちに実力も少しずつ付いてきていた様で、頑張って、粘って、時には のんびり構えて...。とにかく「あきらめない」という事を念頭に置きました。ダメなら次!気持ちの切り替えもすばやく!...
 そして2001年8月、高知のテレビ局内定。その時の驚き、嬉しさ、達成感は忘れられません。
 本当に、永井先生のお力添えのおかげでした。私が永井先生に頂いた一番大きなモノは、「不屈の精神」だったのです。そして今は、夢にまで見た夕方のニュースのアナウンサーをしています...それはもう、「粘り勝ち」で掴んだマイクでした。
 あきらめたら、そこで終わりです。逆に言えば、あきらめなければそのうちチャンスと巡り会えるのです。この考え方は、 今は僕の人生の様々な場面で役に立っています。アナウンサーを目指す友人や後輩には、永井先生の連絡先を教えつつ、こうアドバイスしています。
 「あきらめたらそこで終わり。粘ったら叶うよ。俺みたいなヤツでもアナウンサーになれるんだから、大丈夫」


池村 祐美 【9期生】
 「向き不向きより前向き」「念ずれ花開く」と、アナ受験をしていた約1年半の間に何度自分に言い聞かせたかわかりません。
 私が始めて東京アナウンスセミナーの門を叩いたのは、大学3年の7月でした。アナウンススクールに通うにあたり、とにかく色々なスクールを見学してからどこに行くか決めよう、と考えていました。しかし、一番初めに訪ねたアナセミで永井先生と出会い、 先生の考え方、そこにいらした先輩方の姿に心惹かれ、他のスクールを見ることなくそのまま入学していました。今思えば、ここにも「ご縁」を感じます。
 私のアナ受験は順風満帆なものではなく、落ちて、落ちて、結局120社程の局を受験しました。とても辛く、苦しい1年半でした。アナウンサーという、開くかわからない門を叩き続けることができたのも、永井先生がいらしたからです。
 永井先生は、落ち込み、迷う私にいつも「もう少しです。大丈夫です。」とおっしゃってくださいました。先生の「大丈夫です。」は魔法の言葉で、本当に「大丈夫かも。」という気になるのです。なので、先生がお亡くなりになった後は、大きな心の支えを失い、 大丈夫と思えず、毎日不安の中にいました。
 そんな中でも頑張り続けられたのは、アナセミの"家族"である本間さん、安達さんを始め、同期、先輩、後輩、多くの方々に励まされ、 支えて頂いたからです。多くの皆さんの支えで頂けた内定ですが、その報告を永井先生に出来なかったことは、とても残念です。
 今、念願のアナウンサー職に就き、2ヶ月が経とうとしています。お世話になった永井先生、そして"アナセミの家族"への一番の恩返しは、いつも明るく心を持って一生懸命頑張り、心ある話し手になることだと思います。私はアナセミで、アナウンサーになる術よりも何よりも、"挨拶、気配り、フットワーク、思いやりの心"など、人として一番大切なことを、永井先生の生き方から教わりました。
 いつも謙虚に、素直に、先生に教わったことを忘れずに頑張っていきます。アナセミの家族の皆さん、これからもどうぞよろしく お願いいたします。


石岡 愛美 【7期生】
 「もうどうすればよいかわからない」私は、アナウンサー受験の中で自分も目的も見失いそうになっていたとき、駆け込むように アナセミの門をたたきました。それまでたった一人で受験していた私にとって、共に励ましあい高めあうことのできる仲間の存在、そして永井先生の存在は本当にかけがえのないものでした。言葉遣いも、心配りもままならない私を叱ってくださり、「大丈夫ですよ」と いつでも受けとめ励ましてくださった先生のおかげで、今の私があります。ここには、まっすぐにアナウンサーを目指すことのできる素晴らしい環境があります。
 私は、最高の環境の中で自分自身と見つめあい、仲間や先輩方、そして先生から数え切れない多くのことを学ばせていただきました。それはこれからも私の中で生き続けていくと思います。
 皆様、本当にありがとうございました。そして、これからもよろしくおねがいします。


板倉 譲 【2期生】
 大学4年生の9月。アナウンサー受験を始めて1年が経とうとしていました。アナセミの階段を一歩一歩のぼると、 「あー」「あえいうえおあお」色んな声色が外に響いていました。入り口のドアを開くと、その声はさらに大きくなり・・・、はっきり言って圧倒されました。奥からひょっこり姿を現した「優しい目をした男性」、その方が永井先生でした。先生にアナウンサーに なりたい気持ちを伝えると、「いっしょに頑張りましょー」その声は「受験疲れ」していた自分の襟をピシッと正して下さいました。
 12月に受けた大分県の放送局。最終試験に残っていたのは、男性5人。このうち何と、4人はともに受験を続けてきたアナセミの仲間でした。その中で運良く、自分が内定をもらった時・・・4人ひとり一人が「おめでとう」と声をかけてくれました。"ともに最後まで競った人間に、お祝いの言葉をかける"悔しさが邪魔をしてなかなか出来るものではありません。試験の舞台では、確かに競い合わなければなりませんが、アナセミで本当の意味での仲間・友だちに、出会えました。アナセミは、そんな場所です。この場所を作って下さった永井先生に心から感謝しています。
 今、大分に来て早一年。毎日、色んな方々にお世話になりながら取材する日々。「いつまでも教えていただく姿勢を忘れず・・・」先生の言葉を胸に県内を走り回っています。東京に帰ったときも、思わず足は、中目黒へ。そんな、ふと立ち寄りたくなるアナセミは、私の「アナウンサーの原点」です。


一丸 えみ 【2期生】
 「もし受からなかったらどうする!?」面接に向かう新幹線の中で友人に言われました。でも私の心には、不安な気持ちは全くありませんでした。やるだけのことはやった、という自信があったからです。そしてその日、私は内定しました。
 アナウンサーになることは幼い頃からの夢でした。しかし現実は厳しく、何度面接を受けても1次面接すら突破することが出来ませんでした。 「自分は本当に受かるのだろうか」という不安をいつも抱えていた私は必死になって毎日中目黒に通い、練習することでそれを取り除こうとしていたのかも しれません。でも、そこで得たものはつらいときも一緒に励まし、頑張り続ける仲間でした。彼らが見守っていてくれることが、私の自信につながったのかも しれません。
 「やりたい仕事をやれる人なんて、なかなかいないよ」いつも母が言っていました。しかし、こうして私が毎日充実した日々を送ることが出来るのは、いつも支えてくれた心ある仲間や先生のおかげだと感謝しています。


井上 貴博 【7期生】
 今までの人生で、野球しかやってこなかった私。そんな自分がアナウンサーになりたいと思い、東京アナウンスセミナーと出会ったのは試験が始まる10日程前でした。きっかけは、大学のゼミの先輩からの紹介でした。正直なところ、いまさらアナウンサースクールに行っても仕方ないだろうし、むしろ行かない方が差別化を図れる意味でも行くのは時間の無駄になってしまうのではないだろうかという気持ちでした。
 そんなことを考えつつTASに行ってみると、そこは物凄くアットホームな雰囲気で、生徒も明るく優しい方ばかり。皆さんのやる気と情熱、 教室の熱気に圧倒され、意識の高さに脅かされました。そして何より、永井先生の笑顔やおおらかな人柄に心底惹かれました。生粋の負けず嫌いの私はその雰囲気に触発され、入った次の日からの合宿に飛び入り参加し、本当に色々と学ばせて頂きました。そしてこの合宿を通して断固たる決意が出来た私は、その後も部活が終わってからお邪魔したり練習を抜け出してアナセミに来たりと、空いた時間を見つけて通わせて頂き、 出来る限りアナセミに行くようにしていました。
 今となっては、庄やさんでの即興フリートーク練習や面接対策が懐かしく思い出されます。試験中も、永井先生を始めアナセミの皆さんが後押しして下さったお陰で、自分の実力以上のものが出せたのだと思います。内定を頂いた直後に連絡したのは、親でも友達でもなく、永井先生でした。
 今になって確信していることがあります。それは……アナセミに出会っていなければ、今の僕はないということ。僕の事を誘って下さった板垣さんと永井先生はもちろんのこと、アナセミで出会った友達や先輩方のお陰です。皆様には、本当に本当に感謝の気持ちでいっぱいです。感謝して もし尽くせないほどです。誠にありがとうございました。そして、これからも一生を通してよろしくお願い致します。
 最後になりましたが受験生の皆さん、とにかく自分らしく自然体で精一杯ぶつかっていって下さい。世界に一人しかいない自分独自の"色"を全面に出して、結果にとらわれず後悔のないように、今出来ることをぶつけて下さい。心の底から応援しています。


今井 温美 【社会人】
 私が初めてアナセミを訪れたのは23歳のとき。社会人1年目の秋のことでした。当時、アナウンサーという仕事に関心をもっていたものの、なかなか1歩踏み出せずにいた私。でも、このホームページの「贈る言葉」に背中を押されて、思い切ってアナセミへ見学に行きました。初めて お会いした永井先生は、まだ迷っている私に対して、アナウンサーとして生きていくには何が必要なのか、真剣に、具体的にアドバイスをしてくださり、 「一緒に頑張りましょう」と握手をしてくださいました。「私も永井先生を信じて頑張ればアナウンサーになれるのかな」と希望がわいてきて、それから放送局受験を始めました。
 働きながら全国の放送局を受験することは、学生とはまた違う大変さがあります。職場とアナセミ、自宅の往復を繰り返す日々。時間を見つけては発声練習や自己PRを考え、履歴書は数えきれないくらい書きました。面接会場へ向かう交通費を稼ぐため、休日もアルバイトを掛け持ち、少しでも人前で話すことに慣れようと、街頭で雑誌などを配る仕事をしていました。試験の直前は、明け方まで面接対策をしてくださった永井先生。始発で帰って数時間寝てから職場へ向かう日もありました。初めは書類審査もなかなか通らず、辛いなと思うこともありました。しかし、仲間と励まし合い、刺激し合い ながら夢を追いかけられることに幸せを感じていました。少しずつでも自分の進歩を実感できると嬉しくて、どんどん夢中になっていきました。
 もともと、努力があまり得意ではなかった私。でも、内定までのおよそ2年間、頑張り続けることができたのは、社会人や学生の仲間、現役アナウンサーの先輩方がそれぞれの課題を見つけ、克服するために限りない努力している姿を間近で見てきたからです。そして、アナウンサーとして内定していく姿や テレビ・ラジオで活躍されている姿を見て、「いつか私も!」と思えたからです。先生方・先輩方のご指導があったからです。どんな時も私がアナウンサーに なることを信じて、全力で応援してくださった永井先生がいたからです。
 本当に感謝しています。伝え手として、これからも初心を忘れずに頑張ります。
 今、放送局受験中の皆さん。永井先生は「努力は決して裏切らない」と教えてくださいました。受験は決して楽なものではありませんが、そのときの頑張りが、将来、自分の自信となり、自分を助けてくれるでしょう。合言葉は「明るく心をもって一生懸命」。一緒に頑張りましょう。


植杉 尚子 【社会人】
 大学卒業後、印刷会社に入社しましたが、これが私のやりたい仕事なのだろうかと、ずっとモヤモヤしていました。思い切って退社しアナセミとは別の アナウンス学校に通い始めましたが1年以上勉強しても上手くいかず、また読みで変な抑揚が出る癖がついてしまいました。練習しても直らなくて、もうだめかと思いましたが、やめる前に環境を変えてもう少しだけチャレンジしたいと、アナセミに通い始めました。
 アナセミには毎日のように行きカウンセリングを受けました。永井先生は、私のなかなか直らない癖にもさじを投げずとても親身に見てくださいました。また、不安ばかりの当時は先生の「大丈夫ですよ~」と言う言葉に、どれだけ支えられたことか・・・。そして、3ヵ月後、石川県にある放送局から内定の電話をいただきました。
 今私は、自分がやりたい仕事ができる、この喜びを噛み締めながら、「明るく 心を持って 一生懸命」という言葉を胸に毎日を過ごしています。私の人生を切り拓いて下さった永井先生やアナセミの友人には感謝してもしてもしたりません。
 ありがとうございました。


内田 直之 【1期生】
 「念ずれば花開く」。幼いころからプロレスが大好きで、古館さんや福澤さんの実況するプロレスをよく見ていました。アナウンサーになりたいと思ったきっかけは、たぶんなんとなくだったと思います。熱く実況する古館さん、福澤さんの姿が幼心に「かっこよく」見えたのでしょうか。いつのまにか、 「自分はアナウンサーになるんだろうな・・・」。そう思ってました。小学生の卒業文集にも恥ずかしげもなく、「夢はアナウンサー」なんて書いてました。 高校時代は福澤さんに会いたい一心で、日本テレビの「おじゃマンモス」という番組から高校生クイズに出場しました。大学も福澤さんが出身だからという理由で選びました。はっきり言って、単純馬鹿です。アナウンサー受験が始まり、いかに自分が「本当の馬鹿」だったか思い知らされました。
 受験する局、ことごとく面接落ち。いったい自分のどこが悪いんだ・・・自問自答する日々。精魂尽き、アナウンサー。あきらめようかな?そう思いかけた大学4年の初夏のころでした、永井先生と出会ったのは。
 教室に入って、びっくり仰天!今まで見たこともない、世にも奇妙?な面接の練習をカメラの前でしている。何だ?これは!? 思い返せばアナウンサーという職業への「憧れ」は人一倍持っていたつもりの私ですが。それに向けた「努力」をほとんどしていなかった。こんなに努力している人たちがいたんだ・・・ なんだか情けなくなりました。
 その日から私は狂ったように、中目黒の東京アナウンスセミナーに通いました。嫌で嫌でしょうがなかった自己PRも毎日、作り続けました。人と同じ自己PRでは駄目だと考え、奇妙奇天烈なクイズ形式?の自己PRも作ったりしました。とにかく思いつく限りのことをやったつもりです。
 アナウンスセミナーの教室への階段を上るときは、どんなに辛くても『階段を1段抜かしで駆け上がる』。これは自分の中で決めた約束事。そうすれば、やる気も不思議と沸いてくる。階段を1段抜かしで上りつづけて、およそ半年。鹿児島のテレビ局から携帯に電話。「うちで働いてくれませんか?」内定を頂いた瞬間。涙が滝のように流れ落ちました。
 夢をあきらめかけた時、出会った永井先生。それからアナウンスセミナーで出会ったかけがえのない仲間。死ぬ気で頑張った、半年。すべてが私の宝物です。
 「念ずれば花開く」。本当に素敵な言葉ですね。


有働 文子 【社会人】
私がアナセミに通い始めたのは、2008年11月、その日から今日まで約5年と4ヶ月が経ちました。 当時は、永井譲治先生が亡くなられた直後ということもあり、アナセミ自体の存続も分からないというような状況でした。

初めて、体験レッスンを受けた時、受講生のレベルの高さにびっくりしました。同時に「私も上手くなりたい、ここで練習したら上手くなれる!」と確信しました。

ケーブルテレビ局に入社した私は、会社の中で話す機会があり、そのブラッシュアップとしてアナセミに通い始めました。 アナセミに通い始めて1年後、自分の企画が番組になり、自らが出演する機会をいただきました。それは、芸人さんと地元の商店街を街歩きする番組でした。芸人さんとの掛け合いに悪戦苦闘の日々。
そこで、原元先生のカウンセリングと出会いました。収録したDVDを持参し言われたのは、「あなたテレビに出る資格はないわね!」の一言でした。私は「伝え手」としての意識がないまま画面に映っていることに、その時初めて気が付かされました。

原元先生や山地先生、江橋先生や本間さん、安達さんの厳しくもやさしい指導によって、以後出演する番組や司会、会社から依頼されるすべての仕事は、「伝え手」としての自覚を持ちながら、取り組むことが出来ました。

そして昨年、自分の今後のキャリアプランを考えた時に、「何十年後もアナウンサーとして活躍していたい」と思っていることに気が付きました。
それから1ヶ月半、本当に毎日アナセミに通い、試験を受け続けました。アナセミに通い始めて5年、初めてのアナウンス受験でした。不安になるときもありましたが、5年間に合格していった仲間の笑顔が私の背中を押してくれました。

まだまだ、ここからがスタートラインです。
「向き不向きより、前向き」「明るく、心を持って一生懸命」頑張ります。
これからもよろしくお願いします。


江口 アミ 【9期生】
 私がアナセミを訪れたのは、インターネットで、この卒業生の贈る言葉を見たことがきっかけでした。全国にいる卒業生に信頼される永井先生は、 一体どんな人なんだろう、お会いしたいなと思ったからです。そしてすぐにアナセミの門を叩きました。驚いたのは、初めて会った私に本気で向き合って くれたことです。カウンセリングで、カメラの前で緊張しすぎて上手く話せず、先生は的確な指摘を本気でしてくださいました。先生の、人のために生きる情熱はすぐに伝わってきました。そして、「大丈夫です、続ければ必ずよくなります。」と言ってくださいました。それから先生に指導してもらうように なりました。
 上手くいかない時には、教室で見つけた先生の言葉、「向き不向きより前向き」に、いつも励まされました。私はアナウンサー受験だけでなく、色々な気の迷いから、興味のある様々な一般企業を受けました。その一般企業の面接の場でも、先生の教えがあったので自信を持って受け、内定も頂きました。 先生はその報告にも喜んでくださいました。
 ですが結局、アナウンサーやキャスターの仕事をしてみたいという気持ちも捨てきれず、今は番組のキャスターとして働くことが出来ています。
 私には後悔していることがあります。 先生にこの事を報告することが出来なかったことです。内定したら真っ先に永井先生に伝えたかった。 先生に最後にお会いしたのは去年、友人の壮行会が庄やさんであった日。先生は1日ご機嫌でいらっしゃいました。いつもより笑っているような…それからすぐ、 私が中国に行っているとき、普段電話がかかってこない同期から連絡がありました。東京に戻って、さあアナセミに行こうと思った時、同期に連絡をとりました。すると先生が亡くなったと言うことを聞かされました。本当に信じられませんでした。今でもアナセミに行けば先生に会えるような気がしています。でも先生にはもう会えないんですね。先生が亡くなって、一月半後に今の仕事場から内定を頂きました。この事を先生に直接会ってお伝えしたかったと、 今でも後悔しています。
 先生、遅くなってごめんなさい、そして本当にありがとうございました。
 アナセミの皆さん、これからもよろしくお願いします☆


遠藤 里沙 【1期生】
 私の恩人、それは「永井譲治先生です」先生を信じて、どこまでもついていってください。必ずあなたの道は明るい光を放って輝きます!カナラズ!今自信をなくしていたとしても、踏ん張って踏ん張って次へ進む一歩を、前を見て、力一杯踏み出して!! やらなきゃいけない事っていっぱいあるけど、 全て出来なくて不安になる事ってあるでしょ。永井先生のいるアナウンスセミナーは、そんな不安を吹き飛ばしてくれます。
 私と永井先生との出会いは、TBS、テレビ朝日の試験で自分を見失ったときでした。あのときは、自分の全てを否定された気分で一杯でした。先生のいる場所は小さな教室で、はじめは「ここなの?」と目を疑いましたが、ドアを開けるとそこは全くの【別世界】。はじめてきたはずなのに、前からそこに いたかのように迎え入れてくれた仲間がいました。そして、優しさと思いやりに溢れた「温かい空気」に包まれていたんです。あのとき抜け殻状態だった私は、そこに辿り着けたことで、もう一度自分というものを考えることが出来たんです。
 気が付いたときには、片道3時間半かかる田舎から、永井先生に会いたくて、同じ夢を追いかける仲間達に合いたくて、毎日通っていました。あの空間にいると、 何をするにも充実していて、安心できて、なぜか今までなかった自信が湧いてくるんです。笑顔にだってなれます。教室でやることは、試験に根ざしたことで、 無駄なことは何もありません。毎日が楽しいことばかりでした。救ってくれた先生、仲間達、みんな私の財産です。
 最後に、永井先生の情熱・愛は、今までこのwordsに書かれた私の仲間の言葉1つ1つから伝わってくるでしょう。これだけたくさんの仲間が永井先生を中心に据えて、全国に羽ばたき、繋がっているんです。一人一人が「明るく元気に、心を持って、一生懸命」頑張っているんです。
 「愛のある学校」私は、永井先生のいる【アナウンスセミナー】が大好きです。


大河原 あゆみ 【9期生】
 『すぐ隣にいる人を思いやれなければ、カメラを通して人を幸せにすることなど到底できない。』東京アナウンスセミナーでは、アナウンサーを目指す以前の問題として、『挨拶・礼儀・心配り』を徹底的に学びました。
 私は3つのアナウンススクールに通っていましたが、発声や原稿読みよりも、アナウンサーになるためには絶対必要な『人間教育』をして下さったのは、このアナセミだけでした。生徒は、教室内外に関わらず敬語で話します。スクールの電話は、鳴った瞬間にとります。来客の対応ももちろん生徒です。 敬語や対応に間違いがあれば、先生や先輩が親のように真剣に叱って下さいます。
 そんな環境ここで学ぶ生徒はみんな謙虚で努力家。受かることより、落ちることばかりのアナウンサー受験で最後まで続けられたのは同じ教室の同期や先輩、 後輩がいたからでした。でも、厳しいばかりではありません。年2回の合宿や、同期のお祝いはみんなで盛大に盛り上がります。共に泣き、共に悩んで、 共に笑う。足を引っ張り合うのではなく、応援しあってみんなで合格を勝ち取りにいくのです。ここで本当に深い深い『絆』が生まれます。
 『心あるアナウンサーを全国に・・・』創設者の故・永井先生の教えを胸に、今日も全国でアナセミ出身のアナウンサーが頑張っています。スクールでは、 後に続こう!と頑張る素敵な生徒が勉強しています。アナセミメンバーは年代関係なくみんな『家族』。今、アナウンススクールを探しているあなた、 是非アナセミの扉を叩いてみて下さい☆人生を変える素敵な出会いが待っていること間違いなしです♪


大島 沙耶香 【社会人】
 自分の足元に広がる道。ふと、空を見上げると流れてゆく雲に薄いブルーの空。一体どこまで続いているのだろう、どこにたどり着くのだろう。 落ち込むと不安な心でそんな風に感じることがあります。しかし、必ずどこかに繋がっている、必ず誰かも同じ風景を見ている。
 私は今、北陸のとある土地でそんな風に実感しています。あの、辛く苦しい時、もう希望なんて見えないとさえ思ってしまったあの時に流した涙は、"今"に繋がっていたのだから。
 大学時代、私は"アナウンサーに向いていない。なれない"という言葉をある場所で突き付けられました。それはとてもショックなことで、中学、高校時代から アナウンサーに憧れを持っていた私にとっては全てを否定されたようにも感じました。ですが、なりたい、という一心で活動を続け何とか地元の局で働けることになりました。その部署はいわゆるアナの仕事ではありませんでしたが・・。働き始めて1年たった頃、漠然とした不安を感じ始めるとともに まったく満足していない自分に気付きました。
 "もっと仕事の幅を広げたい""やっぱりアナウンサーとしていろんな分野の仕事がしたい"と毎日思うようになったのです。そして学生時代にともに アナ試験を受け、希望の職種に就き生き生きと働いている友人達をうらやましく感じてしまう自分が嫌で嫌で仕方がありませんでした。自分の醜い部分と向き合うことと、まだ夢を叶えていない、目標のスタートラインに立っていない自分を責める、ということを繰り返す日々でした。
 そんな気持ちでいた私を見て同期入社のアナウンサーの女性が"永井先生に会ってみない?"と、声をかけてくれたのです。これが、永井先生とのご縁の始まりでした。この同期の女性は学生時代からアナウンスセミナーに通っていた1期生でした。
 初めて永井先生とお会いしたのは初夏で中目黒の庄屋さんでした。のれんをくぐって左手奥のテーブルに永井先生は座ってらっしゃいました。初めてお会い するのに、私の話を本当に真剣に聞いてくださり、別れ際に"いつでも連絡ください。がんばりましょ~"としっかりと握手をしてくださいました。そして季節は移り秋になり私はアナウンスセミナーに通うことを決意しました。
 地方で働いていたので休日のたびに早朝新幹線で東京に向かい、最終間際に帰る、ということを繰り返しました。私の人生を導いて下さった永井先生は このときもすごい決断をしてくださったのです。私が会社を辞めてもう一度アナ試験に挑戦するか、辞めないか、という決断です。当の私もどうしたらいいのか、 何をしたらいいのかわけがわからなくなっていたので、とにかく早く楽になりたいなどと思ってしまっていました。すると永井先生は"もうしばらく考えさせて ください。とても大切なことなので考えさせてください"と、まるで自分のことのように神妙になって数週間も考えてくださったのです。
 結果、"辞めてもう1度勉強しましょう"というお言葉でした。私は聞いたとたん感激の涙が止まらなくて思わずへたりこんでしまいました。
 3月いっぱいで会社を辞めて、5月に東京に本格的に移りました。中目黒に少しでも近く、安い所を、と思っていましたら永井先生が"渋谷の不動産屋さんに よさそうな物件が貼ってありますよ~"と住む場所まで気にしてくださり、結局そのアパートにしました。菊名の築35年のアパートでした。
 毎日アナセミに通いながら地方局受験をスタートしました。アナセミに行くと必ず永井先生がいてくださって笑顔を向けてくださり相談に乗って くださいました。不安で不安でどうしようもなかった私にとってどんなに励みになったでしょうか。永井先生はいつだって生徒のことを第一優先で考えて くださるのです。私達がどんなに先生自身のことを考えてください、と言っても先生は私たちひとりひとりのことを考えてしまうのです。それが永井先生なのです。
 新卒でない私が受けることのできる地方局はそんなに多くはありませんでした。落ち続けていたある日、ふと"もしかしたらアナウンサーなんて一生なれ
ないのでは"という思いに襲われました。今まで張り詰めていたものが切れてしまい涙が止まらなくて不安でどうしようもなくなりました。永井先生に その気持ちを話しました。すると、"大丈夫ですよ~、あの、大島さん、絶対なれるので、そんな事を気にしている時間がありましたら、原稿読みの練習を もっとしてください~。そっちのほうが大事ですよ~。"と、にこにこしながら、ぽん、と私の肩をたたきおっしゃったのです。
 私の中で何かが前進しました。この事があってからとても前向きな気持ちになることができ、絶対アナウンサーになるのだからその準備だと思えば、くよくよしている場合じゃない、と思うようになりました。
 ここには書ききれないくらい、私は永井先生に救っていただきました。
 "向き不向きより 前向き" "アナウンサーになるには才能ではなく、努力です" 私が大好きな永井先生のお言葉です。私は今、福井県のある局で アナウンサーとして働かせて頂いています。アナウンサーである前に私達は人間です。ひとりの人として社会の中で相手に思いやりを持っていけるように ご指導下さった永井先生に大変感謝しています。
 永井先生、どうぞお体を大切になさってください。そしてこれからもよろしくお願い致します。


大塚 ひとみ 【15期生】
【諦めなければ絶対にアナウンサーになれる】

これはアナセミの先生方や先輩方が常に口にしていた言葉です。
私がこれから先、多くの人に伝えたい言葉でもあります。

アナウンサーという職業は、華やかで知的なイメージを持たれがちです。それゆえ、「綺麗な顔立ちで、頭の良い人しかアナウンサーになることはできない。だから自分はアナウンサーになれない。」と夢を諦めてしまう人は多いですよね。

私も初めはそう感じていましたし、実際に美しさや知能が求められる仕事であると思います。

ですがそこで諦めることは間違っていると、アナセミから学びました。

これから自分を磨いて美しくなればいい。

これから勉強して知識を身につければいい。

『自分の非を理由にして諦めてはいけない』

アナウンサーになるための努力をするか、しないか。ここが分岐点なのだと感じています。

私は元々頭が良い方ではないので、人と同じことを出来る様になるまでに2倍3倍の時間が掛かります。

ですが逆に、人の2倍3倍でも時間を掛ければ、努力をすれば何事も出来る様になるとも言えます。

面接対策も、筆記試験対策も、アナウンスの勉強も、メイクの勉強も・・・

やはり私は結果が出るまで時間は掛かりますが、やればやる程、1歩1歩前進している足音を聞くことができました。

その足音を聞いてくれている人は必ずどこかにいます。
先生方、先輩方、同じ夢を持つ仲間‥そして放送局の方にその音が届いた時、自分と共に働く仲間として呼んでいただけるのだと思います。

内定をいただき、この場でこのような大きなことを言っておりますが、私もまだまだまだまだ未熟者です。なのでこれからも、今まで通り精進し続けます。

そんな未熟者な私の贈る言葉は以上です。

アナウンサーになれるもなれないも自分次第。自分の気持ち・行動次第で未来は変わるという事を、
心の隅に置いておいていただけたら嬉しいです。


大原 裕美 【1期生】
 「アナセミに通っていなかったら今の自分は絶対にない」永井先生に出会ったすべての人がこう思っていることでしょう。事実、私の職場の机の引き出しには、内定を祝って開いてくれた会で、満面の笑みで「内定オムレツ」を掲げる自分の写真が入っていて、くじけそうになるとそっと取り出します。そのたびに「頑張りましょー!!」と、どんな時にも広い心で励まし続けてくれた永井先生の姿を思い出し、乗り越えてきました。
 アナウンスセミナーでは、アナウンスメントの技術だけでなく、逆境にくじけない根性と、親身になって話を聞いてくれる仲間を得られます。全国各地で同じ志をもった仲間が活躍している。そんな事実がアナウンサーとしての私の原動力であったりします。
 地元・静岡の放送局に入社して3年目。いろいろなことがありますが、アナウンサーは素晴らしい仕事です。これからもアナセミから次々と後輩たちが はばたいていくのですね。同じ職場で、ブラウン管を通して、あなたの活躍を楽しみにしています。


奥平 邦彦 【社会人】
 私は30代になってから、希望していたアナウンサーという職業に就くことができました。私自身にとって本当の勝負はこれからですが、これまでお世話に なった永井先生、そして講師の方々には、心からの感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。
 アナウンスセミナーに通う“既卒"の生徒、つまり社会人にとっては、現役生と同じレベルで情熱とパワーを夢の実現に向けて持ちつづけることは実は簡単なことではありません。年令のハンデもあり採用の門戸は限られます。仕事があるため授業への出席も不定期になりがちです。スケジュールをやりくり しながらトレーニングし、モチベーションを維持していき、決してあきらめず、タイミングを待つ忍耐力も問われます。私は上記のハードルをクリアしたから志望の職種に就けた、と自信を持って言うことはできません。ハッキリ申し上げて自己の貢献度は10%くらいで、残りの90%は「永井先生と講師の方々の適切な アドバイスとサポート」に負うところが大きいと思います。特に永井先生は、アナウンスセミナーへ行けない時期が続いても、たまに顔を出した私をいつもと変わらぬ優しい笑顔で迎えて下さいました。そして常に前向きに接していただき、手を取って、私の顔をじっと見て「頑張りましょう」と励まして下さいました。
 ビデオカメラの前で行う自己紹介と仮想面接、そしてそのテープを再生しながら、永井先生による適切で的を得たアドバイス、、、、あのカウンセリングは間違いなく、受講者にとってアナウンサーだけでなく全ての企業での採用面接において役に立つトレーニングです。自分自身の紹介、そして志望動機を わかりやすくハッキリと伝える能力は、どの業界に行こうとも必須だからです。実際に受講生の方達が、放送業界だけでなく他業界の一流企業に就職しているのも当然の結果だと思います。
 自分を棚に上げて大きなことは言えませんが、それでも敢えて言わせていただくと、社会人として通われているアナウンスセミナー受講生の方々は、 「永井先生に任せていれば安心」という頼り切った受動的な気持ちではなく、日々の発生練習、読みの練習、そしてアクセント辞典を常に授業に携帯するなど、 自分なりの自己研鑽と努力がある程度必要だということを常に意識しておくべきです。その努力と、覚悟さえ決めていれば、社会人として積んできた経験を うまく自己アピールと志望動機につなげ、高いモチベーションを維持し続けてさえいれば、永井先生、そして講師の方々が、きっと手を差し伸べて下さいます。アナウンスセミナーを通じて知り合うことができた方達のご活躍と、アナウンスセミナーの更なる発展を祈っております。そして何より私自身もスキルアップして早く成果を出していきたいと思います。
 永井先生、お体にお気をつけて下さい。そしてこれからも恩師としてお付き合いさせて下さい。よろしくお願い致します。


小田 正実 【3期生】
 永井先生に出会っていなければ絶対にアナウンサーになれなかったと思います。
 アナウンサーの就職活動をはじめて1年3ヶ月尊い内定を秋田の放送局から頂きました。それまでの間永井先生には精神的に助けていただきました。なかなか内定が頂けず、一般企業を受けそちらの方から内定を頂きました。今までアナウンサーという仕事しか見えていなかった私ですが、1つの内定が心を動かしました。もうアナウンサーを諦めようか…。真っ暗闇の中でもとにかく前へ前へと進んできたけれど内定はつかめない。諦めたら気持ちは楽になるけれど、諦めたくても諦められませんでした。毎日が辛く、精神的にボロボロになっていきそうでした。
 しかしアナウンスセミナーに行くと先輩・同期・後輩・そして365日1日も休まずカウンセリングをして下さっている永井先生の姿があります。ここで諦めては いけない!みんなの姿が心の支えでした。そして一般企業の内定を辞退し、永井先生にそれを伝えたところ、いつもの倍の力強さで私の手を握り『大丈夫です! 絶対アナウンサーになりますよ』と言って下さいました。
 それから3ヶ月後、夢だったアナウンサーとしてのスタート地点に立つことが出来ました。先生と出会い、1つの言葉に心を込めるというアナウンサーとして、 人として大切なことを先生の言葉から教えていただきました。先生は決して飾った言葉を使いません。本当に普通の言葉でもその中には、話している相手の ことを一番に考え相手を思っている気持ちが伝わってきます。どんなに下手な伝え方でも、言葉に詰まってしまっても、心を持って話せば必ず相手に伝わります。それを考えたら面接も少し気が楽になると思います。そして自分の思いも必ず面接官に届くはずです。
 これからアナウンサーとして新しい生活がスタートします。しかし私の心はひとつ屋根の下、アナウンスセミナーにあります。ここで学んだことは一生の宝物です。
 先生、先輩方、そして同期と後輩のみんな、本当にありがとうございました。


カ行
皆藤 愛子 【6期生】
 30秒の自己紹介が5秒とできず、泣き出してしまったカウンセリング1回目。あれから半年が経ちましたが、振り返って思い出すのは永井先生や周り方の温かい笑顔、笑顔……。そして、先生の「明るく、心を持って、一生懸命」という力強い言葉!私は本当に支えていただいてばかりでした。自分の情けなさ、悔しさ、不安……。いちいち泣いて、一時期は本気でもう諦めようと思ったこともありました。そんな時、永井先生とアナセミの皆さんはいつもそばで、世界一温かくて素敵な言葉と、優しい空気で包んで励ましてくださいました。その優しさにさらに泣いてしまう情けない私でしたが、本当に本当に救われ、支えられてきたなぁと思います。
 初めて来校した時、階段ですれ違った方に当たり前のように「こんにちは」と挨拶され、私は驚いて何も言えませんでした。今では永井先生のおっしゃる「家族」を身を持って感じ、その意味がよくわかります。アナセミは一人の喜びを、全員で心から喜べるところです。もし辛いことがあっても一緒に受け止めて、本当に親身になってくださる先生がいらっしゃいます。ここの一員でいること=無敵なのではと思います!!
 永井先生、皆さん、本当にいつもありがとうございます。そして、これからもどうぞよろしくお願い致します。



風間 真美子 【社会人】
2013年夏の甲子園が開幕する直前、私はアナセミに通い始めました。と同時に、私の地元・群馬代表の前橋育英高校が優勝したら、今度こそ絶対にアナウンサーになることを諦めない、アナセミを辞めるときは、夢を諦める時だと心に決めました。
その後前橋育英は優勝し、私は一念発起することとなりました。 


私にとってアナセミは、三度目の正直でした。

大学生の頃、アナセミに通おうと一度永井先生のもとを訪れたことがあります。「大丈夫、なれますよー」と言って頂いたものの、中目黒というお洒落な場所とアナセミ生の輝きに圧倒され、田舎者の私は通う事を断念してしまいました。

大学卒業後、アナウンサーとは関係のないお仕事に就いてから、別のアナウンススクールの門を叩きました。 なかなか声の出ない私に、講師の方から「あなたはアナウンサーに向いてないのかも知れない」と言われる始末。 

何度も夢を諦めようと試みたもののそう簡単には諦められず、社会人5年目にしてアナセミにお世話になることを決めました。


アナセミに来て驚いたのが、誰もが「向いていない」と言わないことです。それどころか先生方は、「自信を持ちなさい」「あなたはアナウンサーになれます」と、どんな時も支え、励ましてくれました。

まるで私のことを娘のように思い優しく、時に厳しく接してくれた山地先生。少し話をしただけでも気持ちを察し、解してくれた原元先生。ふとした時に、解決の糸口を差し出してくれた本間さん。内定報告した時、私よりも泣いて喜んでくれた安達さん。直向きに前向きにアナセミで共に習い、励ましてくれた仲間。現役アナセミ生に夢と希望を与えて下さるOBOGの皆さま。カメラの前に立つチャンスをくれたケーブルテレビの皆さん。

アナセミで得た一番の財産は、人との出会いです。 


正直、局アナ経験のない社会人6年目の私が、夢の第一歩を踏み出せるとは思っていませんでした。一人では絶対に辿り着けなかった道です。アナセミで、自分よりも私の夢を信じてくれるたくさんの人に出会えたから、ようやくスタートラインに立てたのです。

自信はなくていいのかも知れません。ただ、自分の夢や周りの人のことを信じる力は大切です。アナセミを信じて努力すれば、必ず夢は叶うと思います。


今の目標は、一日も早く富山で愛され信頼されるアナウンサーになることです。 そしていずれは、私がアナセミの先生方に支えられ、たくさんのチャンスを頂いたように「アナウンサーになりたい」と思う人たちのサポートをするのが夢です。 原元先生のように「早く私と同じ立場になって欲しい」と若い子達に言えるよう、自分のためだけでなく、いつか誰かの背中を押してあげられる存在になるために、富山で仕事を全うしたいと思います。




柏原 愛里 【社会人】
アナセミの素晴らしいところは、「仲間の内定を心から喜べる」ことです。

私がアナセミに通い始めたのは社会人になった1年目の秋です。
偶然、時を同じくして、同じ大学出身で同じ学年、
かつ同じ体育会だった女性がアナセミに入りました。
すぐに彼女と意気投合し、既卒や社会人枠で受験できる局をめざして、
一緒に発声練習をしたり、作文を見せ合ったりしました。

NHKのキャスター採用が本格的に始まった冬。
その年(2009年度)は例年と比べて採用の数が多く、
NHKだけで一日に5社のエントリーシートの締め切りがあることもありました。
私たち二人は、すべての局にエントリーしました。
彼女のみ面接に進めた局、私だけ通った局、二人ともだめだった局。。。
結果は様々でしたが、気持ちは途切れることなく、情報を交換し合って励ましあいました。
同じ局を受験するときは、二人で飛行機に乗って、
カラオケで発声練習(もかねてSPEEDを熱唱)をしたこともあります。

たくさんの人に支えられて、冬の終わり、私は内定を頂くことができました。
連絡を受けた時は、嬉しくて嬉しくて、アナセミから家へ帰る途中だったけれど、
すぐにアナセミに引き返しました。
アナセミに着いて報告すると、彼女がいて、「おめでとう!」とまっすぐ私の目を見て、
自分のことのように喜んでくれました。
内定をもらったのは彼女と一緒に受けた局でした。

その後も彼女は受験を続けて、全国各地を飛び回りました。
そして少し暖かくなってきた春先・・・。

彼女に内定の電話がありました。
アナセミの近くの郵便局までエントリーシートを出しに行くという彼女に
「私も一緒に行く!」とついて行って、一緒に歩いていた時でした。
彼女の携帯電話が鳴ったのです。
電話に出た彼女は、真剣な表情に変わり、次第に話す声が震えて、
私は内定の電話だと気がつきました。
私たち二人は道の真ん中で抱き合って5分くらい涙しました。

信じられないかもしれませんが、彼女の内定は自分の時よりも感動的で嬉しかったのです。

内定した時に、アナセミの仲間からは、たくさんのおめでとうメールが届きます。
会ったことのない人からも、お祝いの言葉を頂きます。
アナセミ生は、狭き門であるアナウンサー受験に悩み苦しみながらも、決して仲間をないがしろに
しません。
アナセミにいると、「一人じゃない」と思えるのです。

いま、アナウンサーとして仕事をさせて頂いて、一番大切だと思うことは、
「一人じゃない」ということ。
なんと、アナセミで習ったことと同じです!
アナセミの延長上に今の仕事があったのです。
だから今、「内定」は決してゴールではなく、さらにはアナウンサーとしてのスタートでもないと
感じます。
アナウンサーになりたいと思いアナセミの門を叩いた時から、
アナウンサーとしての時計の針が動き出していたのかもしれません。
悩んでいる後輩のみなさんも、そのように考えてみると、もっと「今の自分」を大切にできるかもしれません。

アナセミの先生方、皆様、本当にお世話になりました。
感謝の気持ちとともに、贈る言葉とさせて頂きます。
ありがとうございました。



加藤 聡 【8期生】
 アナウンサーになりたいという夢を持ち始めた大学2年生の私は、姉の友人である東京アナウンスセミナー出身の現役アナウンサーの方にご紹介いただき、アナセミの門をくぐりました。入会時期が2年生の秋という比較的早い段階だったため、3・4年生や社会人クラスの先輩方に囲まれながらのアナセミ生活となったのは大変幸せなことでした。アナウンサーになるという強い思いを持ち、仲間たちと切磋琢磨しながら、お互いの喜びや悲しみを分かち合う先輩方の姿に衝撃を受けました。アナセミに出会えたご縁に感謝し、大切にしていきたいと思いました。
 大学やサークル、アルバイトなどのため毎日とはいきませんでしたが、時間のある限りアナセミに通い、先生のご指導を仰ぎました。先生は教室でのご指導にとどまらず、教室以外でも様々なご相談やお話をしてくださり、人としてどう生きるかを考えさせられることもしばしばでした。そして、アナウンサーになることは「夢」ではなくなり、一人でも多くの人々に勇気や元気を届けられる「心のあるアナウンサー」になることが私の人生における「目標」となっていきました。
 アナウンサー受験は精神的にもハードなものでしたが、アナセミの仲間たちと支えあい、先輩方や永井先生に勇気をもらい励まされ、幸運にも内定をいただくことができました。決して私ひとりで得た内定ではありません。アナセミに出会うことができたこと、先輩や同期、後輩たちに出会い切磋琢磨できたこと、アナセミのOBOGの方々に様々なアドバイスや勇気をいただいたこと、そして何より、永井先生という最高の師に出会えたこと。アナセミで得たすべてがかけがえのない宝物です。その源泉は『ヒューマンネットワーク』。永井先生の下に集まってくるすばらしい人々のつながりなのです。
 入社して1アナウンサーとなってもずっと私は永井先生の教え子として、アナセミの卒業生として、100点満点は有り得ないアナウンサーという職業に向き合って常に精進していきたいと思います。
 『明るく、心をもって、一生懸命』私に何度も勇気をくれた永井先生のお言葉は、これからもずっと、ずっと私の背中を力強く押してくれるものだと確信しています。



加納 美也子 【1期生】
 毎日別れ際に交わす握手から感じる、先生の手の「温もり」。それが私のパワーの源でした。
 私のアナウンサー受験はずっと孤独な戦いでした。特にアナウンサー学校のようなものには入らず、1年間インターネットを駆使して試験を受けていたからです。「アナウンサーになるまで受け続けるゾ!」と決意はしていたものの、いざ落ち続けるとなんだか自分を否定され続けているような気持ちになっていきました。そんな私を励ましてくれたのが、試験会場で出会った受験仲間でした。明るく前向きに頑張る彼女たちからいつもパワーを貰っていたのです。
 しかし、大学4年の11月、今まで共に頑張ってきた友達が次々と受かり、自分だけが取り残されたような気がしました。「もう辞めたほうがいいのかな…?」と悩む私に、受験仲間が紹介してくれたのが“永井先生”でした。
 初めてお会いした時、先生は私に握手を求めました。先生の手の温もりに触れた時、私はあることに気がついたのです。それが、これまで私がパワーをもらってきた受験仲間と同じ“あたたかさ”だということを。不思議なことに、私がこれまで魅力的と感じて仲良くなった受験仲間のほとんどが先生の生徒でした。私はアナウンスセミナーに通う前から、間接的に先生のあたたかさに励まされてきたのです。
 それから毎日学校に通い、わずか1ヶ月半後にアナウンサーとして内定を頂くことができました。
 アナウンサー試験は受験する人に比べ、内定をもらえる人がとても少ない厳しいものです。それゆえに、人に優ろうと焦ったり、人と比べて自分の至らなさを嘆いたり、本当の自分を見失いそうになることもあります。でも、アナウンスセミナーではカウンセリング(模擬面接のような質疑応答やフリートークの練習)を通して自分を見つめ直すことができます。個性的な仲間に囲まれて、刺激を受けることができます。そしてなにより、先生や仲間たちの温もりに触れて心が豊かになります。そんな永井門下生のあたたかい輪に、あなたも加わってみてください。きっと道が開けますよ!



亀谷 渉子(かめや たかこ) 【15期生】
私はアナセミで「自信」を頂きました。

一年間アナウンサー受験をしてきて、私は一度も面接に通ったことがありませんでした。はじめは、「これも経験だ」と自分に言い聞かせて、なんとか試験を受けてきましたが、いつしか作業のように受験をし、自信のないまま受け続けていたのです。

大学4年生の夏頃、「アナウンサー受験をしていていいのかな?」、「私はアナウンサー受験をする資格すらないのかな?」と不安で、どうしようもない時期がありました。
でも、諦めようとは一切思わなかったのです。それは、応援してくれている友人、そして、応援と共にアナウンススクールに通う交通費や受講料など支援してくれた両親がいたからです。

そんなときにアナセミの存在を知り、大学4年生の11月に通い始めました。
私が京都から通うことを配慮して、ESの添削をメールでしていただきました。そして、アナセミに通う日には、カウンセリングで苦手な面接練習、授業ではアナウンス技術だけではなく、試験に出てくるような時事についても教えていただきました。
このように一人一人に丁寧に接していただけるところがアナセミの魅力だと感じています。

そして、実際に面接を受けることになった際、アナセミでやってきたことがいつの間にか「自信」になっていたのです。
「自信」がつくと、心に余裕ができ、落ち着いて試験に挑めるのだと、このとき初めて知りました。
そして、結果もついてきたのです。

もし私のようにアナウンサー受験が上手くいかず、不安なときもあると思います。そういうときは周りを見てください。
応援してくれる友人がいます。
家族がいます。
アナセミの先生がいます。
アナセミの仲間がいます。
決して、一人ではないのです。

そしてもうひとつ、「諦めない」ことが大切だとアナウンサー受験を通して、学びました。

これからもひとつひとつの出会いを大切にして、頑張ります。
本当にありがとうございました。



亀山 蓉子 【5期生】
 永井先生と出会い、東京アナウンスセミナー(アナセミ)で沢山の友人ができて、私は変わりました。人前で話すことが大の苦手で、緊張すると声が出なくなってしまうくらいあがり症だった私が「人前で話す」仕事に内定をいただけるまでに成長したのはアナセミがあったからです。 
 初めて見学に来たときに、「なぜアナセミには素敵な人しかいないんだろう」と洗練された先輩方に驚きました。その理由は通っていくうちに分かりました。先輩方、同期の仲間、そして永井先生の言葉から、アナウンサーになるためには何をするべきなのか努力の仕方が見えてくるんです。私は、アナウンサーを目指すことで自分が変わっていくのが嬉しくて楽しくて、それと同時に辛いだけだったアナウンサー試験も楽しくなっていきました。一緒に頑張る仲間がいて、お手本となる先輩方がいて、そして厳しく優しい永井先生の教えの中で磨かれて素敵なアナウンサーになっていくのだと感じます。アナセミを通してできた仲間とこれからもずっとつながっていけることが、今とても幸せです。
 アナセミを巣立っていった数々の優秀な先輩アナウンサーに続けるように、これから一生懸命頑張りたいと思います。永井先生、これからも末永くよろしくお願いいたします。



河合 麗子 【社会人】
 やっとこの贈る言葉を書くときがきました。「女子アナ30歳定年説」なんて言葉をよく耳にしますが、アナウンスセミナーの永井譲治先生の前では、こんな消極的な思いを抱くことは許されません。むしろそんな思いを抱くことさえなかった気がします。
 私がアナウンスセミナーの授業を始めて受けたのは2003年1月19日、もう25歳になったころでした。そして2008年1月19日に琉球朝日放送のアナ試験を受けて内定をいただきました。丸5年の月日、そして30歳にして、長年の夢であったアナウンサーの仕事させていただけることになりました。永井先生には、アナウンスはもちろん、人間性を高めるための様々なご指導をいただきました。
 私はアナウンス受験を続けていたために、これまで様々な仕事をしてきました。フリーターや派遣社員、CM制作や野球のスコアラー、交通情報キャスターやコミュニティFMのパーソナリティなどなど……、このように様々な仕事をしていてもそれぞれの会社で良い人間関係を作ることができたのは、永井先生の「謙虚さと感謝する気持ちを大切にしなさい」というご指導があったからこそだと思います。私にいろいろな仕事の経験をさせてくれた多くの方々に、今感謝の気持ちでいっぱいです。
 今受験をされている方の中には、自分の人間性を否定されているような、そんなつらい思いでいっぱいの方もいらっしゃるのではないでしょうか?でも、これからの試験でも自分らしさを表現しつづけてほしいと思います。しかし自分の思いだけを伝えることはただの甘えです。それぞれの会社が社員になるべき人にどんなことを望んでいるのか、それを考えながら永井先生の下で人間性を磨いていってください。アナウンス受験を続けられること、永井先生のご指導を受けられること、アルバイトをしてお給料をいただけること、学校の授業を受けることができること、日常生活の様々な幸せに感謝して、その感謝に答えるために自分はどうするべきかを考えていけば、自ずと人はついてきてくれます、そしてその先に内定が見えてきます。私は内定までには長い年月がかかりましたが、その過程の中での多くの出会いには自信を持つことができます。
 感謝と謙虚さをもちながら、自分にしかない自信を身につけていってください。そして面接のときは堂々と自分らしさを発揮してください。アナウンスセミナーの皆さんの健闘を祈っています。
 そして永井先生、本当に長い間ありがとうございました。



川崎 寛司 【3期生】
 五島列島の海は青い。深く澄み、遠くまで輝く。きっと見る者の心を揺さぶるのだろう。日本で一番好きな場所だ。今は静岡に移り住み、朝な夕なに県内を駆け巡る。社会人として、アナウンサーとして初めて赴任したこの土地で、日々新たな「好き」を探している。
 五島列島で生まれた。長崎の遥か西に浮かぶ小さな島。長崎の本島から船に揺られて四時間半。島の西側からは中国大陸が望める。そんな島で、家は旅館を営む。古く、そして小さい。
 女将である母の宏子は圧巻だ。「物を売るより人を売れ」母の口癖だった。商売で大切なのは、商品よりも売る人の人間性。『心』だと日頃厳しく説く。悩んだ時の母の解決方法、それは「メシ食って寝ろ」だ。この島でこの母親に育てられたせいか、元来小さなことは気にしない。情にもあつい。ただし、幼い頃から体に染み付いた「五島時間(しまじかん)」だけは、今悩みの種だ。あまりにゆったりした性格のため放送局の仕事について行けず、よく怒られる。
 大学では、島を出て上京した。しかし、夢は特になかった。強いて言えば「夢を持ってひたむきに生きること」それが夢だった。アナウンス学校に通い出したのも、小さい頃からアナウンサーになりたかった訳ではない。自分には何ができるのだろうか?そんな模索の末に辿り着いた。人生に、もがいていた。そこで永井譲治先生と出会った。『人生は出会い』そんな言葉があるように、永井先生との出会いで、僕の人生は少しずつ少しずつ動いて行った。そして、後に大きく変化していくことになる。夢を叶えたい!輝ける人生でありたい!そんな想いから毎日アナウンスセミナーに通った。
 雨の日も木枯らしが吹く日も、毎日永井先生のカウンセリングを受けた。道すがら、カウンセリングに使えるネタがないか必死で探した。朝は6時に起きて、その日のニュースを2時間勉強した。発声練習も欠かさなかった。時にお寺や公園、スポーツの試合に足を運び、リポートも作った。ただスポーツ実況だけは、アナ学校でもトップの下手さをほこった。神宮球場で友人との野球実況練習、前進するセンターを必死で「センターバック!センターバック!」と叫んで笑われた。
 「アナウンサーになる」、懸命な日々を過ごすうち、それはすでに揺らぐことのない断固たる決意となっていた。しかし、アナウンサー採用試験には落ち続けた。イイトコロまで行く時もあったが、“内定”を勝ち取ることは決してたやすいことではなかった。どんなに毎日アナウンスセミナーで訓練しても、それを活かせない面接もあった。自分がふがいなく、悔しかった。日々永井先生が口にする「向き不向きより前向き」その言葉すら否定したくなる日もあった。自分には、決して向いていないのだと。それでも毎日通った。毎日声を出した。面接試験に落ちた日も涙を押し殺して出し続けた。「アエイウエオアオ」その声は不安に駆られる心の叫びであり、やり場のない憤りでもあった。
 そんな中でも、永井先生はいつも変わらなかった。変わらず「頑張りましょう」と明るく微笑んでくれた。そして、いつの間にか永井先生を心の師と仰ぐようになった。こっちが本気になってぶつかって行けば行くほど、永井先生もそれに応えてくれる。だから、毎日喰らいついた。わからないことはわかるまで先生に聞いた。しつこかった。
 2002年春、政界では田中真紀子、鈴木宗男の不祥事が連日取り沙汰され、スポーツ界では日韓サッカーW杯を目前に控えていた頃、33社目となるアナウンサー採用試験を受けた。それが今働いている会社だった。最終面接でのこと。おもむろにコワモテで、明らかに偉そうな面接官に問われた。「なぜ、アナウンサーでなければならないのか?」「別にアナウンサーじゃなくてもいいんじゃないの?」と。「好きだから!」これまで放送局の面接に落ちた時の何とも言えない悲しさ、毎日毎日通ったカウンセリングの日々、そして一緒に夢を目指す仲間や毎日命を懸けて指導して下さった永井先生のことを想い、その全てをつめ込んで答えた。「アナウンサーが好きだから。だからアナウンサーになりたいんです!」
 『念ずれば花ひらく』三日後の夕方に来た内定通知の電話。受けた直後は頭が真っ白だった。自分の状況を把握できなかった。その後友人達から届いたお祝いの電話やメール、その夜の内定祝い、そして永井先生と抱き合って思いっ切り流した涙で、やっとその実感が湧いた。あの日は、一生の宝である。好きだという気持ちは何ものにもかえがたい。自分の中で最も単純で、最も純粋な気持ちなのだろう。
 今は静岡で暮らしている。新しい住まいの程近くからは海が見える。「静岡の海の青さは、川崎氏の信じた道を歩むための『ゴー』サインです」静岡に発つ前、永井先生に頂いたこの言葉を胸に大好きな静岡で、明るく心を持って一生懸命、今を生きる。



川部 絢子 【9期生】
 永井先生、そしてアナセミの『家族』なくして、今の私はいません。そう言い切れます。
 私は先生と出会ったことで、人生観が変わりました。私がアナセミに通い始めたのは、大学2年生の秋頃でした。私をはじめ、先輩方のアナ受験に対する姿勢にただただ圧倒され、『このままではだめなんだ。先輩みたいになりたい』と強く思う一方で、その雰囲気の中に入っていく勇気がなく、授業以外にアナセミに行くことができませんでした。そして、カウンセリングや庄やさんに1度も行かないまま3年生の夏になっていました。そのことで1度先生に叱られたこともありましたが、それでも勇気を出すことができなかった私を、先生は見捨てることなく、『待っていますからきてくださいね~』と声を掛け続けてくださいました。
 試験も目前にせまり、自分をかえたいという思いで、勇気をだし庄やさんに行きました。すると、そこにいらした本間さんが、『絢子は~だから、そこをもっと練習すればもっとよくなると思うよ』と声をかけてくださったのです。授業で1,2度しかお会いしたことがなかったのにも関わらず、私の名前を知っていてくださり、さらに弱点までも知っていてくださって、私をアナセミの一員として認めてくれているような気がしてとても嬉しかったのです。そのことが励みとなり、それからは毎日のようにカウンセリング、庄やさんへ通うようになりました。
 同期とはアナセミに行く前にカフェで一緒に面接対策をしたり、ESを書いたりするようになるほど仲よくなれ、同じ夢に向かって一緒に一喜一憂し、一緒に頑張ることができる仲間がいるってありがたいなぁと心から思いました。本当に支えられました。地方受験のときには、宿泊費節約のために、ばれないかヒヤヒヤしながら1人用の部屋にこっそり2人で泊まったり、受験地のことを知るために、試験の前日に一緒に観光したり、名物をたくさん食べたり♪実況練習等の練習のために皆でスポーツ観戦に行ったり…皆がいなければアナウンス受験を乗り切ることはできなかったと思います。応援メールや、深夜まで及ぶ電話相談もありがとうね!
 長いアナウンス受験の中、『頑張ったって自分はアナウンサーになれないんじゃないか、自分はやっぱりむいていないんだ』と何度も思い、辛くなったことも度々ありました。すると不思議なことに先生は、私がそういう気持ちになっているとき、どこかで見ているのではないかというタイミングで、先生自作の心温まる素敵な詩を送って下さるんです。また、試験前日に地方のホテルで不安と孤独と戦っている時にも、それを見ているかのようなタイミングで電話をくださいました。そして『大丈夫ですよ~』『明日も心を持って一生懸命頑張ってください』と言ってくださいます。極限の精神状態の中、この言葉の温かさといったらありません。そしてその後は、オムレツに『○○放送内定へ!いつもそばにいて見守っています』とケチャップで書き、写メールを送って下さる。翌日は、試験時間の前に神社にお祈りに行き、神社と絵馬の写メールで励ましてくださいました。内定後にその神社へお礼に行った時には、神社にかかる絵馬のほとんどが先生が書かれたものでした。
 先生、なんでそんなに人のためにばかり生きられるの?先生はいつも、自分のことではなく、人のため、私たちのために生きて、支えてくださいました。先生との楽しい思い出もたくさんあります。先生はアナセミや庄やさんだけではなく、先生のご自宅でもES対策や面接対策をしてくださいます。面接対策で先生の家に集まったはずが、いつの間にかDVD鑑賞会になっていたり、ワイン会になっていたことも度々ありましたよね。先生が飲みすぎて、次の日誰もいないところにも握手をし、大笑いしたこともありました。アナセミで過ごした日々は、全てが温かく、大きく成長できた、とても大切な時間でした。
 社会人となった今も、先生に『大丈夫ですよ~』と言ってほしい時がたくさんあるんです。永井先生、これからも、ずっとずっとそばで見守っていてください☆先生、素晴らしいアナセミ家族との出会いを、温かい思い出を、そして全力で私たちのアナ受験を支えてくださり、本当にありがとうございました。それから現在アナセミを支えてくださっている皆様、私たちの帰る場所を残して下さり、本当に本当にありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願い致します。



岸田 麻由美 【12期生】
9年前、私は本気で声優を志しました(ジブリに出るために)。
6年前、本気で芝居の勉強を始めました(「声優も俳優」だからです)。
4年前、本気で新体操を始めました(役者として、身体の表現力をつけるために)。
そして2年前、本気で挫折をしました。 

大学で新体操の現役を引退し、アナセミに通い始めた大学4年の12月、正直私は、もう一度何かに本気になれる自信がありませんでした。本気で走って、また転ぶのが怖かったからです。

でもアナセミには、「もっと本気の人」が沢山いました。本気でアナウンサーを目指す人、アナウンサーとして本気で生きてきた先輩方、本気で指導してくださる先生方、毎日毎日、本気で応援して寄り添ってくださる方々… 

本気になるということは、自分に嘘がつけないということです。後ろを振り返っている暇もありません。でもだからこそ、本気の人は皆、「情熱的」で「誠実」です。そういう人の発する言葉には、誰かの心を動かす「パワー」があります。アナセミに入ってから卒業するまでの2カ月間、私はそんな「言葉の力」に、何度も勇気付けられ、救われてきました。

今度は私が、元気がなくなって前を向けなくなってしまった人に、パワーのある言葉を発信したい。そのために、まずは山形で、本気で体当たりしてきます!今までお世話になった全ての人に、「ありがとうございました!!」 



北清 杏奈 【11期生】
私が初めてアナセミにきたのは、2008年9月。
永井先生が亡くなったばかりの時でした。
そのとき先生が亡くなったことを聞いた私は、正直入学を迷いました。
アナセミは変わってしまうのではないか。そんな不安がありました。

でも「今ならまだ先生の遺してくださったものがたくさんある」という先輩の言葉をきっかけに私は入学を決意しました。

そして結果として私が通ったアナセミには、永井先生の想いを受けついだ本間さんや安達さん、先生たちがいて、
永井先生がつないでくださった仲間たちがいて、先輩達の想いがつまった進行表やオムレツメールがあって、
愛に溢れた場所でした。
アナセミが心ある話し手を多く世に送り出す場所であることに変わりはありません。

いつでもアナセミが側にあるということ。これは本当に幸せなことです。
いつ来てもカメラがあってカウンセリングの先生が待っていてくれます。
人は辛いとき自分の世界に閉じこもってしまいがちですが、私はそういうときこそアナセミに足を運ぶようにしていました。
アナセミで頑張る仲間たちの姿を見ていると落ち込んでいる場合じゃない、ここであきらめたら絶対に後悔すると、
気持ちを強く持ち直すことができました。

永井先生と、今までアナセミを守り続けてくださった方々に本当に感謝しています。
ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。



橘高 香純 【社会人】
 「なれるか、なれないか」ではなく「なりたいか、なりたくないか」。約2年半に渡るアナウンス受験の中で、私は何度もこの言葉を自問自答しました。 
 大学3年生の夏にアナウンス受験を始めてから約2年半を経て、私はようやく内定を頂くことができました。周囲の友達が内定をもらっていく中で感じた焦燥感、大好きになった局に落ちた時の脱力感、アナウンサーになれないかもしれないと思う時の恐怖感。内定までの道のりは果てしなく遠く、何でアナウンサーになりたいのか分らなくなったこともありました。
 でも、アナウンスセミナーで恩師に出会い、「なりたいなら、やるしかない!」とアナウンサー受験を始めたころの初心を思い出しました。そして同時に、目標や夢に「全身全霊」で臨む姿勢を教えて頂きました。アナウンスセミナーでの出会いに心から感謝致します。アナウンスセミナーに通う一人でも多くの方が、夢を叶えられますように・・・。



木村 季康 【1期生】
 「アナウンサーになりたいのならここへ一度連絡してみて下さい」大学3年の5月、当時学生新聞のサークルに所属していた私は、神宮球場に取材に来ていました。試合後、ロッカールームの外で監督と選手を待っていたところ、スーツに身を包んだ男性が私を同じように待っていました。何気なく話し掛けてみると、その方はフリーアナウンサーとして活躍されている方で、今度CS放送で大学野球を中継するので取材に来ていたとのこと。その後、話は及んで「アナウンサーになりたいのですか」「はい」「じゃあ私も学生時代にお世話になった方がいるので連絡してみます」こんなことから永井先生との出会いが始まりました。
 人の定めとはわからないものです。あのとき、私が声をかけていなければまた違った人生となっていたはずです。アナウンサー学校というものを「邪道」だと思っていましたが、通い始めてからはそんな気持ちもどこかへ消えていきました。午後なら学校が必ず開いていますし、同期と一緒に頑張れること、OBから話をきくことができたのは大きな財産となりました。
 福島に来て2年目。先輩アナウンサーのほとんどが永井先生のゆかりの方で、今年は県内の放送局と新聞社に後輩が入っていきました。まさにヒューマンネットワーク。学校を離れると余計にその凄さ、パワーを感じます。来年、再来年とさらに人の輪が広がっていくのでしょう。



木竜 亜希子 【1期生】
 私はアナウンスセミナー開校と同時に入学した1期生です。「アナウンサーになりたい」という強い気持ちで学校の門を叩きました。
 試験はかなりの精神力と体力が必要となりました。キー局から始まった試験。岩手に行き、名古屋に行き、山口に3回行くなど、全国各地の放送局を受けてそして落ち続けました。ですが、それでもあきらめることなく前向きな気持ちで受け続けられたのは、永井先生がいたから。自分の時間を削り、私達一人一人を平等に、365日体制でそばについてくれたからです。経験豊かな講師の方々が親身になって教えて下さったからです。夢に向かって一緒に頑張った友だちと心から励ましあえたからです。アナウンスセミナーで出会った永井先生と、友達と一緒に心から泣いて、心から笑いあえたからです。
 離れ離れになった今でも、先生や、全国各地で活躍している友達とは連絡をとって悩みを打ちあけたり、たわいのない話をしています。私にとってのアナウンスセミナーは「アナウンス学校」という言葉の枠を超え、生涯の絆を築くことができた大切な場所です。私は永井先生に自分を信じる力をもらってアナウンサーになることができました。
 「アナウンサーになりたい。」強い気持ちのある方には是非、アナウンスセミナーであなたのかけがえのない時間を過ごして下さい。そしてブラウン管を通して、みなさんが活躍する姿が見られる日を楽しみにしています。



草野 茜 【5期生】
 温かい日差しを感じると、永井先生の事を思い出します。「明るく心をもって一生懸命!」「向き不向きより前向き」「念ずれば花開く」というお言葉が、聴こえてきそうです。
 私がアナセミに出会ったのは、大学卒業間近の時でした。受験で出会った先輩に誘って頂き、その次の週も違う先輩に誘って頂いたことが きっかけです。その頃、友人達は就職が決まっているのに自分は決まっておらず目の前が真っ暗でしたが、アナセミに行くと前向きになる事が出来ました。しかし、来る日も来る日も履歴書を書き試験で全国に行く、クタクタの毎日。一人でいるときは殆ど涙が止まらない時期も ありました。そんな時、永井先生は「ワインとなるぶどうはやせた土地の方がよく育ちます。人間も同じようですね。」「ご縁ですからね。 大丈夫です。一緒に頑張りましょう。アナウンサーになれますからね。」と、励まして下さいました。
 そんな温かい先生に支えて頂いていましたが、あまりにも突然、先生とお別れをしなければならなくなりました。私は、永井先生に内定の報告が出来なかったことを、後悔しました。しかし、これから天国の永井先生に恩返しできるような生き方をしようと、心に決めました。。。
 それから私は、かけがえのない存在に気付きました。アナセミの「家族」です。永井先生がつないで下さった大切な存在です。永井先生と同じように「頑張りましょう!」と言って下さったり、時間を大切にすることを教えて下さったりした本間さん。忘れてしまっていた気配りの大切さを気付かせて下さったり、「これが最後の進行表にしましょう!」と励まして下さったりした安達さん。私の勤務先の百貨店を話題に して下さったり、「草野さんは大丈夫だと思っていましたよ」と温かいお言葉を下さった先生方。「応援していますから」「頑張っているね、 今辛くても気にしない。大丈夫だよ。」と嬉しいお言葉を下さった先輩方。同じ社会人で受験をしている仲間と励まし合ったこと。内定祝いに出席して、勇気を頂いたこと。その場で合否を言い渡される試験で落ちてしまった時、残念そうに手を握ってくれたその局で働くアナセミの卒業生。内定おめでとうございますというお電話やメールを頂き、本当に嬉しかったこと。きりがないほどの温かい思い出があります。
 私は回り道をしましたが、かけがえのない出会いがありました。本当に、心から感謝しています。
 最後に、永井先生が庄やさんで聴かせて下さった思い出の歌のことを書かせて頂きます。その歌の主人公の僕は、拾った素敵なものを近く にいた人に譲るのですが、僕はそんなことを繰り返し、結局何も見つけられないのです。しかし、素敵なものを譲った人が嬉しそうに笑う顔を見たときの気持ちこそ、僕の探していたものだったと気付くのです。最後は、今までで一番素敵なものを拾うことができた。そんな歌詞です。 永井先生は「一番最後が一番いいところなんですよ~」とおっしゃっていました。
 永井先生も、先生の宝物であるアナセミが今、本間さん、安達さん、先生方、アナセミの皆さんに支えられ、続いていることを、天国でとても喜んでいると思います。これから私も、この歌の僕のように誰かの笑顔につながることを喜びにできるような人を目指して、前向きに頑張ります。  今まで、本当にありがとうございました!!そして、これからも宜しくお願い致します。



工藤 淳之介 【9期生】
 2009年3月31日…いよいよ明日から、幼い頃からの憧れだった仕事に就くに当たり、湧き上がる感情は、22年間生きてきてお世話になった人たちへの「ありがとう」。その中でも真っ先に浮かぶのは、永井譲治先生はじめ、アナセミの皆さんへの感謝の気持ちです。
 アナセミで学んだことは、エントリーシートやアナウンサー試験突破のコツ、アナウンス技術には決して収まりきりません。思いやりや気くばり、人として大切なこと…そして、何でアナウンサーになりたいのか、アナウンサーとして生きるとはどういうことなのかをひたすら自問自答する機会を与えてくださった気がします。おかげで、まだまだ未熟者ですが人間的に成長できたと感じています。アナセミに出会わなければ、職業どころか人としても違う生き方、考え方をしていたと思います。
 断言できます、東京アナウンスセミナーがなければ、アナウンサーになることは不可能だったと。これから先、永井先生とアナウンスセミナーの皆さんから学んだことを糧に、アナウンサー人生を歩んでいきます。それと、東京に「帰る場所」ができたということも、本当に幸せに感じることです。
 「明るく、心をもって、一生懸命!」今後それぞれ別の土地にいても、この言葉を唱えるとアナセミの皆さんの顔が思い出され、パワーが漲る気がします。これからの仕事に全力で取り組むことが、アナセミへの恩返しになると思っています。頑張ります!



國井 美佐 【8期生】
アナウンサー受験をしよう!そう決意した私は、近所の本屋さんへ行きました。就活関連のフロアに行き、はじめて手に取った本が、永井先生のご著書「アナウンサーになる!」でした。昼には一人一人カウンセリングという個別指導をしてもらえ、夜には居酒屋さんの奥座敷で先生がエントリーシートの添削・受験対策をしてくれる。ときには、悩みや夢、人生をも語り合う。しばらくすると、アナウンサーになった先輩方が、予約なしにひょいと集まってきて、気づくと大家族になって食卓を囲んでいる。誰か内定がでた日には、先生も仲間も自分のことのように喜んでくれる。そして、先生が黄色いオムレツに赤いケチャップで内定おめでとうと書いてくれ、みんなで朝まで杯を交わす……。一気に読み終わり本を閉じると、東京にはこんなにあたたかくて素敵な学校があるんだ!!!と胸が高鳴ったのを今でも覚えています。通いたい!しかし、私は名古屋だから通うことはできない。そう諦めていました。東京の局の試験が終わり、大阪の局の1泊2日の試験でアナセミの方3名に出逢いました。そして、学校のこと、永井先生のことを教えてもらい、最初に手にとった本を思い出しました。それからというものの、アナセミのことが頭から離れず、本を読み返しては、永井先生のことを自分の先生と思い、本にかかれている先生の言葉を励みに試験を続けました。しかし、大阪もすべて終わり、地元名古屋の試験が一つ、二つ終わった頃には、触れられたら今にも泣き出してしまいそうな状況で、自分でもどうしていいかわからないほど切羽詰まっていました。そんなとき、三日連続アナセミの夢をみたのです。それまでは電話の子機をもち、数字を押してはみるものの勇気をもてずに切ってしまっていたのですが、三日目の朝「これはお告げなんだ」と腹をくくり、お電話をしました。永井先生はとても穏やかなあたたかい声で「大丈夫ですよ、お待ちしております」とおっしゃってくださいました。そして一ヶ月後、内定をいただきました。アナウンサー試験というのは、思っているよりずっと苦しい試験です。選考が進めば進むほど、その局を愛し、自分の働く姿を夢見てしまいます。そのぶん、実らなかったときのショックは計りしれません。失恋と同じことですから。しかし、ショックを受けた次の日には別の採用試験がある。そんなとき、周りの人の支えなくしては、笑顔になれないときもあります。アナセミには、命をかけて指導してくださる先生がいます。人の内定を心から喜びあえる仲間がいます。親身になって相談にのってくださる先輩がいます。そんな「アナセミ家族」に出逢えて、あの時勇気をだして電話をかけて本当によかったと思っています。アナセミでは、沖縄、新潟、香川、愛知、大阪などなど、遠方から通われている方がたくさんいます。自分は遠方だから……。そう思って躊躇されている方がいたら、是非一度電話をかけてみてください。あたたかい心と笑顔で先生は迎えてくださると思いますよ。



熊坂 良 【社会人】
永井先生と、出会ったから今の私があるように思えます。小さな頃から目標としてアナウンサーという仕事。大学時代アナウンサー受験のために全国行脚をし、なかなか結果が残せない中、テレビとは全く関係のない仕事で、私は社会人となりました。毎日、仕事をこなす中でやっぱりアナウンサーという夢を実現させたく、学生の時からお世話になっている、永井先生のもとでカウンセリングを再び受けさせてもらいました。仕事と並行しながらアナウンサー受験をし、多忙な日々を送る中、いつも永井先生は私にこう言って下さっていました。「アナウンサーに絶対なれますから、大丈夫です」と。その言葉を信じ、仕事と両立をしながら時間が許す限りカウンセリングを受けに行きました。スクールに行くと、本当にアナウンサーになりたくて頑張っている方が大勢居て、その姿勢に自分自身が本当に刺激を受けました。何度も諦めそうになった時も、永井先生やアナウンススクールで出会った人たちの励ましがあったからこそ、私はアナウンサーになれたのだと今でも思っています。また内定をいただいた時には、私以上に先生は喜んでくださり本当に嬉しく思いました。アナウンサーになるには、本当に努力が必要だと思います。しかしそれだけではなく、自分の良さを発揮するためにも人との出会いが大事なように私は感じます。アナウンサー受験を通して、永井先生や多くの人に私は出会いました。そのことで、自分自身が今まで気づくことのなかった強みや弱い面を多く知ることができました。そのことを知ったからこそ自分自身に自信が持つことができ、アナウンサーになれたように思います。永井先生、これまで本当に自分のことを信じて下さって本当にありがとうござました。これまで、たくさん指導してくださったことを忘れずにアナウンサーとして頑張って行きたいと思っています。



倉見 慶子 【社会人】
今回、アナウンサーとして内定を頂いた放送局は、私が就職する4つ目の会社なのです。さらに私は社会人3年目。つまり約二年間で3回も転職したことになります。中学生の頃からアナウンサーを目指していた私は、大学3年生の現役の時にアナウンサーを受験。キー局はあっけなく敗退しました。名古屋・大阪と受けても内定まではいきませんでした。新幹線での日帰りを繰り返す、地方局受験に少し疲れてきた頃、大学の友人と一緒に受けてみた外資系証券会社に内定をもらいました。社会人になって働きながら受験してみようと思い、その証券会社に入社しました。(1社目)入社8ヵ月後次の就職先も決まっていないのに、証券会社を退社しました。それから3ヶ月間、就職活動を続けましたが、アナウンス学校にも通わずにアナウンサーを目指すという無謀な方法ではなかなか決まらず、3ヶ月以上職を離れていると就職活動にも不利になるという言葉のプレッシャーにも負け、その時点で決まっていた出版社に入社してしまいました。(2社目)さらにアナ受験を続け、スカイパーフェクTV!ビジネスチャンネルでキャスターとしての内定を頂き入社しました。(3社目)その出版社はわずか一ヶ月で退社しました。永井先生に出会ったのもこの頃です。アナウンスセミナーは、ホームページで知りました。スカパーの放送局受験の際、カメラテストがありました。それまで原稿読みやカメラテスト等なんの準備もしてなかった私は、アナウンス学校でカメラテスト対策をしてもらおうと、ホームページを検索しては様々なアナウンス学校に電話をして、カメラテスト対策をお願いしました。しかしどこの学校からも断られるか、あるいは「2時間で3万円」等の高額な授業料を提示されました。諦めかけていた頃、アナセミに電話。事情を話すと(永井先生)「どうぞ~いつでも来てください~」。(私)「え?授業料はおいくらですか?」(先生)「とりあえずは必要ありません」とのこと。それから藁にもすがる思いで、アナセミに行きました。あれから一年間。アナセミに通い、ついに長野の放送局から内定を頂きました。アナセミのドアの入り口で永井先生に内定を報告した時に、やっと内定が実感できました。今回改めて贈る言葉で自分のアナウンサーになるまでの道のりを書いてみて、私の人生なんてめちゃくちゃなんだー!と思います。行動が突発的で無謀。ありきたりな言葉ですが、こんな私は、永井先生なしではアナウンサーになることはできませんでした。私が某局の最終試験で落ちたとき、「これでよかったと思える日が必ず来ます」という先生の言葉が印象的でした。アナウンサーとして入社し、これからが本番。どんなことがあってもこの言葉を思い出して今まで以上に努力を続けたいと思います。



小出 涼子 【社会人】
「人との出会いで、人生も変わってしまう」、ちょっと大げさかもしれませんが、それを実感したのが、私がアナウンサーになるまでの道のりです。現在27歳の私は、この冬、都内某企業の会社員からアナウンサーに転職が決まりました。アナせみに通っていなかったら、アナせみ生に出会っていなかったら、永井先生に出会ってなかったら、私は転職するまでにはなっていなかったでしょう。私はアナせみ生から、「好きなことを仕事にすることの幸せ」を考えるきっかけをもらいました。アナせみの存在は、アナせみに通っていた大学生が社会人である私に、「好きなことがあるなら、それを職業として目指したら」と進められて紹介されました。中目黒に顔を出し、永井先生に初めて会ったその日、在京キー局の試験に向けて、教室では大学三年生たちが先生からの指導を受けていました。「こんな世界もあるのかぁ」これが初来校のときの正直な感想です。どこかで、アナウンスを学びたいとは思っていましたが、まさかそのとき、自分がアナウンサーを本当に目指すなんて想像していませんでした。ただ私は、幸運にも永井先生の生き方や考え方に触れることが出来、心優しいアナせみの仲間が出来、27歳という年齢と状況が自分自身を考えるきっかけになったのだと思います。アナウンサーを目指した年齢が遅かったために受験可能な局が少ない、そんな仕方のない状況を何度となく悔いたこともありました。試験も最終試験まで進むと自ずと期待も膨らむからか、結果を聞いてその夜布団の中で悔し泣き、涙がとまらず翌朝出勤だというのに、コンタクトの入らない日もありました。でもここまで最終的に前向きにいられたのは、一緒に頑張ってきたアナせみのみんなから、「努力すれば夢は叶うこと、ひとりじゃなくみんなで目指す姿勢や、働きながらも楽しんでアナせみで学ぶこと」を教えてもらったからだと思っています。OBの方からは、業界の話はもとより、これからアナウンサーになる私にすばらしいアドバイスをかけてくださいました。非常に恵まれた環境にいたのだと改めて感じています。これからが、私のスタートです。昨日、お世話になる放送局の方たちが、わざわざ私のために休日を割いて一緒に住まい探しに同行してくれました。ありがたいことです。私は今、「東京を離れて働くのだ」と気が引き締まるのと同時にこれからのスタートが楽しみです。永井先生、引っ越しするまでアナせみに通いこれからも引き続き頑張りますので、どうか今後ともよろしくお願いします。



河野 哲也 【1期生】
私は2003年4月から長崎の朝の情報番組(月~金)でMC・リポーターをさせて頂くことになりました。贈る言葉として、私が内定するまでの経緯を含めてお話したいと思います。私がアナウンスセミナーで学んでいたのは2年前になります。その時はきっかけがあって別の業界に進みましたが、2年経ってやはり放送業界で活動したい思い永井先生に相談したところ、チャンスを頂いて内定し、現在に至っています。前職の関係で長崎に移ったのは3月20日、そしてデビューが3月31日。2年前の学びしかない私に務まるのか?そもそもなぜ採用されたのか?そんな思いでプロデューサーに質問しました。するとプロデューサーは「声には人柄が出る、放送には顕著に表れる。あなたの性格が出たその声を、私は良い声だと思っています」とおっしゃってくれました。2年前、アナウンスセミナーで言葉の勉強をしました。正しい発声・発音を学び、不適切な言葉遣いを正し、表現の研究をしました。しかし永井先生が一番大切に養って下さったのが、人間性であり私らしい言葉でした。学んでいる時は学びに集中して忘れがちですが、自分らしい素直な言葉を大切にして下さい。それこそが自分の長所であり、存在意義になるはずです。まぁアナウンスセミナーで永井先生をはじめ、業界にいる多くの先輩や仲間達に囲まれていれば大丈夫でしょう!私はアナウンスセミナーが大好きです。全国に散らばる仲間、夢を持って努力する皆さんを誇りに想い、尊敬しています。もし長崎で試験などがある時はいつでも連絡して下さいね。何ができるかわかりませんが飯でもおごりますよ!



郷間 翔 【9期生】
人前で話すことが苦手で、アナウンサー向きとはいえない私が内定できたのは、永井先生、本間さん、安達さん、先生方など多くの方々の支えがあったからです。
大学5年の5月。内定を頂くまでに70社近く受験し、長丁場を支えて下さり本当に有難うございました。

初めてアナセミを訪れたのは、大学3年の2月。 他業種を中心に受験していた私は、年明けの試験でスタジオを初経験。努力すればアナウンサーになれるかもしれない。希望を持ってアナセミの門を叩きました。そして、永井先生の元に足繁く通いました。

永井先生を慕う、多くの先輩方・生徒の皆さんが来校し、真剣に学ばれている姿を見ると自然と気持ちが引き締まりました。お守りを下さったり、先輩方を紹介して下さったりと、お忙しい中、気にかけて下さった永井先生。それだけに、永井先生がご存命の時に内定のご報告ができなかったことは残念でなりませんでした。

その後も、私は結果を残すことができませんでした。出口の見えない真っ暗闇のトンネル。60社を受験した大学4年の3月。大学図書館の近くで一人で泣き崩れ、心が折れかけた時もありました。

それを救ってくれたのはアナセミの先生でした。内定を頂いた時の気持ちは今も忘れられません。そして受験中、9期、10期の同じ志を持ち、気持ちを高めあってきた仲間との日々は絶対忘れません。

向き不向きより前向きに。精一杯頑張ってきます!



越塚 優 【5期生】
私は疑っている。永井先生は実は魔法使いではないかと。馬鹿げている。が、しかしそんな想像をしてしまうほどに先生の持つ力は大きい。受けども受けども全く成果の出ない就職活動本番。現実逃避をするかのようにアナセミからも足が遠のいた。これだけ努力してもダメなものはダメ。自分の信念は立ち直ってはまた挫ける。そんな時、先生はすべてを見透かせているかのように電話をかけてくれる。少しだけ、勇気がでてくる。そんな折初めて自分に巡ってきた千載一遇のチャンス。自分以上に先生は信じてくれた。受かりそうな予感がした。この試験は先生を信じ、心中する気持ちで受けよう。先生からもらったアドバイスをもとに、普段の十倍準備した。次の試験、準備したものしか聞かれなかった。就職活動期間中、疑り深くなっていた私は先生の魔法を信じた。ただ信じてついていった。就職活動期間中、ようやく自分も他人も信じることができるようになった時、それは内定という形であらわれた。私は知った。自分にとって一番必要だったのは「信じる」ことだった。先生に会わなかったら、私はいつそれに気付いただろうか。よかった。本当によかった。いつでもどこでも先生の手は暖かい。そして、その暖かい手はいつもなにかを気付かせてくれる。先生私は思い出しました。そしてもう決して忘れません。本当に、本当にありがとうございます。



小椿 希美 【社会人】
「絶対にアナウンサーになる」。 幼い時からの夢で、就職活動がはじまった大学三年生の夏から、内定を頂いた大学卒業後二度目の冬までの3年と数ヶ月も一貫して思い続けていたことです。

アナセミと出会ったのは、大学を卒業したばかりの春でした。その時の私は、大学在学中にアナウンサーの内定を頂けず、内定していた一般企業も辞退し、受験を続けアルバイトをすることを選びました。立場は、いわゆるフリーターです。

自分で決めたことだけれど、新社会人として羽ばたいていく友人達の姿に劣等感を感じたり、家族に心配をかけ続けることが申し訳なかったりと割りきれない気持ちでいました。 通い続けたアナウンサースクールもみんな卒業するか受験をやめていき、新二年生や三年生ばかり。居場所も可能性もなくなっていく様に感じていました。 そんな気持ちの中でも、諦めることは出来ず、インターネットで「社会人、アナウンサー受験」と検索してみました。
そこでヒットしたのがこの贈る言葉でした。

私と同じ様な気持ち、言葉に表せないくらいの不安。でも、絶対に叶えたい夢。私は夢を現実にした何人ものアナセミ生の言葉を読んで抱えていた想いが溢れる様に涙が止まりませんでした。

その後、すぐに電話をかけてアナセミの扉を開いたこと。今でもはっきり覚えています。

アナセミは、私にとって学校ではありませんでした。
アルバイトの関係で、夜10時過ぎに練習をしに行ったり、なんだか不安で先生の顔が見たくなったり、嬉しいことがあって仲間に話したくなったり…
いつも、「ただいま~」という気分で扉を開けていた様な気がします。

そういう、決して派手ではないけど、毎日心を通わせられる場所、内定までの1日1日を築かせてくれる場所、そんな居場所でした。

アナセミに入ってからつけていたノートが10冊目になった時、私は内定を頂きました。
ノートは今でも私の宝物です。 どんどん冊数が増えたのは、自分の記録はもちろんですが一緒にアナセミで学んだ仲間のことがたくさん書いてあるからです。
一緒に悩んで、一緒に喜んで、たくさん意見をぶつけあいました。
アナウンサー受験に、攻略法なんてないけれど、私は本気で夢を叶えようとする仲間の姿からたくさん得るものがありました。

贈る言葉もそんな 「本気な人」のことばだったから、突き動かされたのだと思います。

今もまだまだ叶えたい夢があります。

アナセミで体現した 「念ずれば花開く」ということば。
少し長かった受験を通して、たくさんの人との繋がりの中で一歩一歩前に進んで行けば、思い描いていたことは必ず現実になる日が来るとそう思います。

本当にありがとうございました。



小林 新 【3期生】
僕が永井先生と、そしてアナウンスセミナーと出会ったのは、内定を頂いたFM局の紹介からでした。「ここでちゃんと基礎から学んでこい」そう会社から言われ、アナウンスセミナーへ10月から通い始めた僕は、この場所で衝撃を受けたのを覚えています。真剣にアナウンサーを目指し、仲間同志、互いに切磋琢磨している生徒のみなさん、そしてそれを心から全力で支える永井先生。「本気でアナウンサーになりたい」という想いが、取り組む姿勢からビンビンヒシヒシと伝わってきました。真剣になりたいモノを目指すことというのは、とってもエネルギーが必要で大変だと思いますが、諦めずに「今ある自分が最高!」という気持ちで頑張って欲しいなと思います。僕は、ラジオの喋り手になりたかったので、テレビは一切受けずにラジオ関連のみに絞っていました。ラジオの新卒募集は数が少なく、毎日のように面接を受ける周りの人をみて、不安になることも常でした。右手で数えるほどしかない目先の面接日程。その一つにでも落ちたときは不安と、挫折感で一杯になりました。「絶対にアナウンサーになるんだ」という気合いが足りなく、弱音を吐く時期もありました。ですが、一時期から「僕はラジオだけなんだ」という気持ちをしっかりもつようになりました。どこかに落ちても、その落ちた後の「今」ある自分は何ができるのか、「今」目の前に広がる道が自分にとって最高の道なのではないか、「今」を常にゼロとしてスタートしよう。そう思うようになりました。それからの活動は、一つ一つ全力で、素直に等身大の自分を出せるようになれたと思います。全ての経験は自分にとってプラスになると思います。自分にしかない夢を、そして野望をしっかりと胸において、是非その夢をもぎ取ってください。アナウンスセミナーという場所は、そんなあなたにとって最高の環境だと思います。



小林 恵子 【1期生】
常に低姿勢で、謙虚な心をもって一生懸命取り組むこと。これは言葉ではなくて、永井先生自ら示して、教えて下さったことです。それは、新潟でアナウンサー3年目を迎える今でも、とても役立っています。胸の高鳴りを抑えてアナウンサー試験に挑戦。しかしふたを開けてみると、落・落・落・・・・・・。何度先生に泣きついたことでしょう。その度に先生は、「小林さんは絶対いい仕事をするアナウンサーになります!!」と励まし続けてくださいました。忙しいのに、一人一人のエントリーシートを穴のあくまで丁寧に見てくださりました。生徒が内定をもらうと自分のことのように喜び、たくさんの仲間を呼んで、内定パーティーを開いてくれます。時には連日連夜のパーティー。私たち生徒にとっては忘れられない夜となるのです。永井先生を通じて出会った親友は全国各地で活躍しています。試験に向けて励ましあい、今では仕事の悩みを相談する強い絆で結ばれています。これからもアナウンスセミナーを通じてたくさんの後輩に会えることを楽しみにしています。



小林 史子 【7期生】
大学3年の12月末、私は就職活動で知り合った友人の紹介で初めて東京アナウンスセミナーを訪れました。「アナウンサーになりたい!」という想いは強かったものの、思うように試験が進めなかったり、自分という存在に悩んだりもやもやとした不安に駆られている時期でした。しかし、アナセミに通い始めると不思議と気持ちが楽になっていったのです。ここにはいつも一緒にアナウンサーとして生きることを目指す仲間、頼りになる先輩方、そしていつも見守って下さる永井先生がいました。地方局受験の際、前日からホテルに宿泊し次の日の試験を前に心細いこともありました。そんな時、アナセミの仲間からの励ましの声や永井先生から頂いた写真つきのメールは私にとって何よりのお守りになりました。試験の当日も1人で受けているという感覚はなく多くの方々の支えの中に自分がいると感じていました。私は試験に落ちて悲しいときもアナセミに来れば前にすすむことができました。アナセミのみなさんには感謝の気持ちでいっぱいです。そして未熟な私にアナウンス技術だけでなく人として大切なことを教えて下さった永井先生、本当にありがとうございました。永井先生はいつも温かい言葉をかけて下さいました。つらい時期はその言葉に助けられ嬉しい時は同じ喜びを共有して下さることが何より嬉しかったです。『念ずれば花開く』永井先生がかけてくださったこの言葉のようにあせらず努力を続け、人との絆を大切にしていればきっとアナウンサーとしての道は開けてくるのだと信じています。



小林 真樹子 【1期生】
拝啓、永井先生。お元気でしょうか?とはいっても今日もご無理をなさっているのではないでしょうか?お忙しいとは思いますが、お体を大切にして下さい。お願いします。先生の下を卒業して、もう丸2年になります。時間がたつのはとても早いです。おかげさまで今日までたくさんの素晴らしい出会いがありました。そしてこれかも日々もあると思ってます!そんな素晴らしい仕事をさせていただいているのも、すべては先生と会うことが出来たからです。私の友人や私自身、このようなお仕事をするなんで思ってもいませんでした。大学生の頃、部活に通うように毎日中目黒へ向かってました。いい先生の周りには、いい人達が集まるんですよね。先生のおかげで1期生の仲間にも会えました。ここにいたから、最後まで頑張れました。優しく、温かく、そして力強く見守ってくださった先生。私たちみんなの良さを引き出してくれた先生。心から心から感謝しています。もちろん楽しいことばかりではありませんが、あの頃の時間が力になるのです。手元にある写真を見ては初心を思い出しますし、先生やみんなとお話するとまた頑張れるのです。おかげさまで先生の生徒は全国で奮闘中ですよ。これからもたくさんの生徒さんたちのきっかけを作り続けるんですよね。先生、どうぞ、お体ご自愛下さい。



小林 良輝 【13期生】
「小学生の朗読じゃないんだから」

僕が、初めて原稿読みをした時に先生から言われた言葉でした。 正直、「えぇ!?」ってなりました。 いわゆる、「テンパる」というやつです。

元々、その先生の同期の方の紹介で当スクールに通うことになっていたため、その紹介して頂いた方には、「君には厳しく指導してもらうように頼んどいたからね」と、事前に告知をされていたものの、「最初から厳しいな~」と衝撃を受けたのを今でも鮮明に覚えております。

大学生にもなると、人に怒られることや、厳しいことを言われることも少なくなってしまいますが、アナセミでは違います。
ダメなものはダメ!!
良いものは良い!!
とハッキリ指導してくれます。
だから成長できます。

先生の立場からしても、ダメなものを「ダメ!!」と、きっぱりと言い捨てるのは心苦しいことであると思いますが、それをやってくれます。
何故ならば、そうしないとアナウンサーになる。テレビ局員になるための狭き門を通ることはできないからです。
そして、先生が僕たち生徒を信じているから言えるのだと思います。

だから、今思えば、「最初から厳しいな~」なんて思っていた自分が恥ずかしくて仕方ありません。
そう感じてしまったのは、自分自身が本気になれていなかったからです。
先生は本気で受からせようと思い、掛けてくれた言葉の意味を理解できていませんでした。というよりも、理解しようとすらできていませんでした。
だから、本当に恥ずかしく思うのです。

アナセミは、先生も本気です。
だから、本気で受かりたいと思っている人にはもってこいの環境だと思います。
是非、アナセミの門を叩いてみて下さい。
そして、「明るく、心を持って、一生懸命!」頑張ってください
夢を実現させるための、一歩(内定)を掴み取ってください。 



今野 智美 【1期生】
「明るく、心を持って、一生懸命」試験の前に永井先生が必ず一人一人の手をとって言ってくださったこの言葉、今も本番や取材の前に必ず心の中で唱えるくらい、大切にしています。書類が通らない、面接で何を話していいのかわからないと八方塞がりでしたが、永井先生と出会って、光が見えました。発声、原稿読み、フリートークの練習も必要ですが、一番大切なことは普段の生活の中での「アンテナ感」です。それに気づいてからは、大学やバイト先、移動の電車の中でさえも、常にアンテナを張るようになりました。そうすると、今まで気づかなかったことが目に入ってくるようになったんです。「かっこいいことを言う必要なんてない、普段の生活で感じとったことを素直に話す」それができるようになってからはアナ受験が楽しくなってきました。結果がでないと落ち込むときもありましたが、アナセミに通うことで、不思議と「絶対、アナウンサーになれる」という気持ちになれたんです。一つ一つの試験にとことん付き合ってくださったり、落ち続けても「次は今野さんの番ですよ!」との励ましてくださる永井先生、そして、一緒にがんばってきた同期の存在。アナセミに通った1年半は私にとって宝物です。鳥取に来て3年目。今年度からは報道に配属され、毎日原稿を書いて、読むという記者兼キャスターを務めています。今思うことは、アナウンサー受験をしていたときの生活が糧になっているということです。永井先生との出会ったことで、アナウンサーになれただけでなく、社会人として大切なことを学ぶことができました。「明るく、心を持って、一所懸命」という姿勢が仕事をする上でこんなに大切なことなんだと、実感しています。アナセミには、そんなヒントがいっぱいありますよ!ただのマスコミ塾じゃないことに驚くはずです。今後もたくさんのアナウンサーが巣立っていくことを、心から願っています。


サ行
佐伯 桃子 【1期生】
 前橋にきて3年目、あと少しでまた「伝え手」としてどういきてきたのか、どう生きたいのか問われる時期がやってきます。
 ふと仕事から帰って来てたまらなく恋しくなるものはいまも変わってません。先生の笑顔と握手、カウンセリングを待つ時の胃の痛さ、みんなでないて喜ぶ内定の瞬間、庄屋のから揚げ。
 先生。私ちゃんと「伝えて」いるかなあ?これからもこの仕事やってけるかなあ?押しつぶされそうになりながらふと思う、 「初心忘れるべからず」。
 思えばコンプレックスのカタマリでした。みんなきれいでかわいくて。そんな中で戦っていけるのか・・・取り繕ろわなくちゃ― 惨敗。そんな中で出会えた「永井譲治」という人間。「自己紹介してください」・・・・・先生は頷くだけでした。でも並べた言葉が全て嘘に聞こえ、 全てブーメランのように自分に跳ね返って痛かった。「あ、この人は“この世界は人と人が真剣に、飾った言葉や表情ではなく向き合い ぶつからなくてはいけない場所だ”と教えてくれる人なのかも」...反省しました。
 どう楽しんで腹をくくって覚悟を決めて、リラックスするか。それにはとにかく自分を知って、磨いて、周りの友人に切磋琢磨されて それでいて人を愛して愛されることが必要だよと、セミナーはいろんな形で教えてくれました。部屋には壮行会の写真。黄色くふんわりと焼けたオムレツに「はばたけ!」の文字。友人が内定する度に「自分のオムレツは永遠にたべられないものかもしれない」と思っていました。でも「そんな日」は本当に来るみたい。ただし諦めなければ、必ず。
 いま、取材で出会った様々なパワフルな人たちに助けられています。その元気を伝えることが私の元気です。アナウンサーや伝え手を目指す皆さん、「向き不向きより前向き」だぜッ!!! これで採らなきゃその会社はつぶれるぜいっ!!



堺 瞳 【12期生】
アナセミのアナウンサー試験は、団体戦です。 

アナウンサー試験そのものは、各地方に1人で出向き試験をする個人戦。 私の場合は山形、仙台、名古屋、岡山、香川、山口、福岡、鹿児島… あちらこちら1人で飛び回りました。 アルバイトで貯めた旅費が消え、大好きなテレビ局の試験に行っては落ち、その度に心が折れそうになりました。 更に、大学4年生の夏を過ぎると 周りの友達が次々にアナウンサーの夢を諦めていき、「自分もアナウンサーの夢を諦めようか」と悩み焦る毎日でした。

そのような時、支えて下さったのはアナセミの先生方、先輩方、仲間でした。 アナセミの先生方は、夜遅く授業の後にも熱くアドバイスしてくださったり、何度も一緒に自己PRを考えて下さったり…先輩方は、試験のアドバイスを下さいました。 そして、心が折れそうになる度、「次はがんばろう!」とアナセミの仲間と励まし合いました。

私にとって、孤独を感じやすいアナウンサー試験で、アナウンサーになる夢を途中で諦めず、持ち続けられたのは、アナセミのおかげです。
アナセミは個人戦ではなく、団体戦。団体戦だからこそ、モチベーションを持ち続けられ、夢を叶えられます! 

がんばれ! 未来のアナセミ生!
あなたもアナセミで夢を叶えて下さい…!



坂本 祐祈 【7期生】
 永井先生と出会えたこと、アナウンスセミナーの心強い先輩方、そしてかげがえのない同期と出会えたこと、また、その出会いへと導いてくれた今までの全て出会いに感謝の気持でいっぱいです。
 私が内定するまでに永井先生からご指導頂いた期間は半年くらいでした。しかし、そんなに短い時間であったことが嘘のように、私にとっては人生の中で最も充実した、一生の宝物になる半年間でした。私の就職活動の思い出の中にはどこを探しても永井先生の姿があるような気がします。いつも試験を受ける前日には、『明るく、心を持って、一生懸命』という言葉で送りだして下さいました。試験を受ける際、緊張しガチガチに なっている私を少し楽にしてくれ、がんばるぞと前向きにさせてくれたのもその言葉でした。そして、毎回試験会場をでると落ち込み、はりつめた気持ちのままアナウンスセミナーに駆け込むと、『大丈夫ですよ』と暖かい言葉をかけて下さり、安心感から涙が止まらないことも多々ありました。
 自分のためだけではなく、支えて下さった全ての方のためにも内定したい、その思いが自然に生まれてくる。アナウンスセミナーはそんな不思議な場所であり、そこがとても大きな強みだと私は思っています。時には厳しくご指導下さり、いつも暖かく見守って下さった永井先生、お忙しい中 真剣に相談に乗って下さり、たくさんのアドバイスを下さった先輩方、そして、一緒に試験を受けているにもかかわらず支えてくれた同期の皆さん、 本当に本当にありがとうございます!そしてこれからもご指導の程よろしくお願い致します。
 最後に、お会いした全ての先輩方から頂いたこの言葉を贈ります。『永井先生を信じて努力すれば、必ず花開きますよ』



佐藤 香 【11期生】
私にとってアナセミは、東京の帰る場所であり、まさに家族です。2年前、アナセミを選んだ自分を誉めてあげたいです(笑)
アナセミに入って、本当にたくさんの方にお世話になりました。いつも私の話を聞いてくださる本間さん、安達さん。
授業やカウンセリングでびしばしと愛のあるムチを打ってくださった先生方。
朝まで自己PR の特訓をしてくださった、アナセミ出身のアナウンサーの方。
親身になって試験やお化粧の相談に乗ってくださった先輩方。そして、苦楽を共にした、
大好きな同期。
次々に顔が思い浮かびます。
内定をもらった日のことは、多分一生忘れません。

入社直前に、悲しいことが起きてしまったときも、アナセミファミリーの支えは
本当に大きかったです。
3月下旬に、原元先生とお話しすることができました。先生の言葉に救われ、
思わず涙してしまいました。
同時に、これからアナウンサーとしてどのような信念を持ち続けていくか、
見えた瞬間でもありました。

アナセミの皆さんには、たくさん支えていただきました。
入社してからも、私のことを気にかけて連絡をくださった先生もいます。

今までお世話になった分、これからゆっくりとアナセミにお返しをしていけたらなと思っています。
後輩の皆さんに伝えたいことはたくさんありますが、内定お祝いなどには積極的に参加することを
オススメします!
私はアナセミ外であるこの飲み屋で、お祝いがあるたびに朝まで飲み続け(安達さんのおかげです)、
そこで人との会話に慣れ、内定に繋がったと思っています(笑)。またそれだけでなく、
そういう場にいたからこそできた、大きな出会いもありました。
というわけで皆さん、時間とお金が許す限り飲み屋に顔を出してみましょう。
学生はお安くしてもらえるので、朝までいた方がお得ですよ(笑)。
きっと、アナセミではできない話もできるはずです。

今改めて、アナセミと出会えてよかったと思っています。
本当に、ありがとうございました。
これからも末永くよろしくお願いします!



佐藤 委子 【7期生】
 私が東京アナウンスセミナーと出会ったのは、大学三年生の11月でした。
 キー局の書類選考が一つも通らず、アナウンサーには向いていないのではという不安に押しつぶされそうになっていた時でした。新潟の大学で あったため、それまでは東京のアナウンススクールに通うのは無理だと考えていました。しかし、アナセミには私と同じように新潟から通われている方を含め、 遠方から通われている方がいらっしゃいました。それを知り、無理なことではない、自分も頑張ろうと決めました。やはり、新潟から通うのは体力的にも経済的にも厳しいものでした。大学とアルバイトと東京行きの高速バスの繰り返しに疲れ、アナセミに行かなくなった時期もありました。
 そんな時、アナセミで仲良くさせていただいた方から、「時間が経って行きにくいなら、一緒に行きましょう」と連絡をいただき、もう一度アナセミに通うきっかけをいただきました。3ヶ月ぶりなので、緊張しながらアナセミに向かうと永井先生も生徒の方も、3ヶ月も経っていないかのように温かく迎えてくださいました。その時、自分がとても恵まれた環境にいることを感じ、もう一度このアナセミで頑張ってみようと思いました。
 毎日のように通うことはできませんでしたが、新潟にいる時でも、アナセミの存在が私を支えてくれました。東京に行けばアナセミがある、 永井先生がいらっしゃる。アナセミは私にとって遠く離れた家族のような存在でした。永井先生と、アナセミと出会うことができなければ、アナウンサーという夢を諦めていたでしょう。アナセミからいただいた、相手を家族のように思いやれる温かい気持ちを、伝えていけるように頑張っていきたいと思います。


沢田石 和樹 【1期生】
 <永井先生に出会わなければ、今の自分はいない。>
 たぶん、これは、アナウンスセミナーに通い、今、アナウンサーとして放送という仕事に携わっている人みんなが、心の奥に持っている共通の想いだと思います。
 <アナウンサーになるには、何が必要なのか?>
 そして、これは、アナウンサーを志望する人の誰もが、常に頭の片隅にある共通の悩みだと思います。おそらく、その答えを自然と理解した人が、 今、アナウンサーとなって放送という仕事の中で頑張っているのだと思います。
 その答えは、人それぞれです。とことんアナウンス技術を磨く必要がある人、他人の傷みを知る必要がある人など様々でしょう。私は、アナウンス セミナーに通う時間の中で、その答えを見つけることができました。私に必要だったものは、「素直に話すこと」でした。面接などで、どうしても建前で物事を語ってしまい、失敗してきました。しかし、面接官の評価を気にせず、自分の思いを素直に話すことが出来るようになりました。
 永井先生に出会い、指導を受け、励まされ、そして、かけがえのない仲間と過ごす時間の中で出来るようになりました。今の自分があるのは そのおかげです。
 <永井先生に出会うこと>そこから全てが始まります。すばらしい仲間もいます。後は、自分次第です。



清水 春樹 【7期生】
 入学が遅かった私にも、永井先生は他の生徒と同じように接してくださいました。
 どんな生徒にも真摯に向き合おうとする先生の姿には胸を打たれたものでした。そんな先生には感謝の気持ちでいっぱいです。また意識の高い アナセミの生徒達と接することも大きな励みになりました。試験で思うような結果が出なかった時、皆さんが頑張っている姿を見て気持ちを入れ替えることができたものでした。
 生徒のみなさん、永井先生ありがとうございました。そして先生、お体は大切になさってください。



白山 佳以 【12期生】
最初から堅い話ですが、私が皆様にお伝えしたいことは、局のアナウンサーになった時に何をしたいのか、どう成長していきたいのか、そのビジョンを明確に持って頂きたいという事です。

アナウンサーになりたい一心で、キー局に限らず、全国の地方局を受験されている方もいらっしゃると思います。では、その地域でアナウンサーとしてお仕事を頂いた時に、どういった事をしたいのか、その具体的な理由をはっきり言えないとこの仕事は、途中で心が折れる可能性があります。アナウンサーとして、見て頂いている方に伝えるという事は、日々精進しなければならない非常に難しいことです。

その中で、自分を鼓舞させるものは、二つだと私は考えます。

一つは、「私は、この地で伝え手としてこういうことをしたいから来たのだ」という熱い思いです。どうその地を好きになっていくことも考えておく必要があるかと思います。

もう一つは、入社してから日々、アナウンサーとしての仕事を勉強させて頂いている中で、「自分はいずれこういう姿勢で伝え手として仕事に携わりたい」というはっきりとしたビジョンを持っていることです。どういった個性を出していきたいのか、これは自己PRにも繋がるかと思います。

そして、今述べた二つの考えというのは、何も内定してからや入社してから持つものではありません。受験時から考え、それを会社にアピールして自分を売り込む、その考えを分かっていただくことが重要だと考えます。受験することも辛いですが、入ってからも甘い世界ではありません。しっかりとした「自分の考え」というものを持って、ぶれずに一生懸命に頑張ってください。



陣内 智衣 【2期生】
 「表現者としてどれだけ喜びを感じているのかが大事です」
 仕事で、悩みを抱えているとき先生が私にかけてくださった言葉です。アナウンサーになってから一年がたちました。しかし、全力投球した仕事でも、100パーセント納得することはありません。「もっとこうすればよかった」と・・・。
 思い返せば、アナウンサー受験中もそうでした。先生の「大丈夫です」いう言葉に励まされながら、全国を受験しました。結果に落ち込んでいる暇はなく、また次の受験が待っています。本当にアナウンサーになれるのか・・・。
 「いつでも新鮮な気持ちでいられる。そこが魅力なんじゃないのですか?」と、なかなか結果が出てこないときに、私にお話してくださったことが ありました。アナウンサーになった今でも、先生から教えていただいたことが今の私を支えてくれます。
 一緒に受験で全国まわった仲間達。今、テレビで、元気な姿に出会います。「絶対にアナウンサーになるんだ!」そんな思いが教室いっぱいに響き渡わっているかのように感じる、発声練習。辛いときこそ、素敵な笑顔を見せ、輝いていく、カメラを前にしたカウンセリング。自分に結果が出なくても、自分の事ように喜ぶ友人の内定祝い。「人の痛みを感じられる人間でありたい。だからアナウンサーになりたい!」そんなことを飽きる ことなく話し合った日々。今、初心を忘れることなく、アナウンサーの仕事ができるのは、アナセミの仲間達がいるからです。本当に感謝しています。
 「言葉が話せれば、誰でもアナウンサーになれる!」先生は、いつもそう言っています。「本当かな?」と思われるアナウンサー受験をしている皆さん。 本当です!私がアナウンサーになることを、自分以上に先生は信じてくれ、仲間が応援してくれました。「夢って本当は叶うんだよ」と、私は自分の言葉で いいたくて、アナウンサーになりました。今度は、私が、夢を持って一生懸命に頑張って生きている人の姿をアナウンサーとして表現して伝え、応援して いきたいです。



杉浦 舞 【1期生】
 「明るく元気に心を持って行ってらっしゃい」と、手を強くにぎって話す永井先生に支えられて数十社に及ぶアナウンス試験を乗り越えてきました。
 私の一番の悩みは、背が小さいこと。でも永井先生に「コンプレックスを感じさせない大きな力を杉浦さんは持っているから、絶対受かります。 大丈夫ですよ。」と声をかけていただき、自分を必要としてくれる放送局に内定することができました。今はこの身長を自分のいい持ち味として活かして仕事に励んでいます。自分のコンプレックスをプラスに考える力を永井先生に教えてもらいました。
 また、アナウンス試験を受けていて思ったことは、話す内容がいくら素晴らしくても「心」がなければ相手には何も伝わらないと言うことです。 私は永井先生と出会い、「心で話す」「心で伝える」ということを学び、人間性も育てていただいたと思っています。
 そしてもう1つ、この学校は、内定の喜びも試験での苦しみも共に分かち合うことのできる仲間に出会える場でもあります。この笑顔の絶えない愛のある学校で、ひとりでも多くの方が学び、夢をかなえられることを心から願っています。
 この学校の一期卒業生として今後も東京アナウンスセミナーと深く関わっていきたいと思います。



杉山 藍 【1期生】
 「諦めないこと」。
 これが永井先生から教わった沢山の事柄の中で、私がアナウンサーになりえた最大のポインでもあります。
 名のある大学を出ているわけでもなく、人より秀でた美貌や才能、実績があるわけでもない。数々のアナウンサー試験に失敗するたび、 「は~。きっと私には無理なんだ・・・」と当時の私は、一人思い悩んでいました。
 そんなとき、先生は、決まって、「大丈夫!杉山さんは大丈夫!」と、あの強いまなざしで励まし続けて下さいました。先生の懸命な姿に、 「・・・よし。先生が頑張ってくださっているのに、諦めてる場合じゃないな」と気持ちを立て直したことが何度あったか・・・。自分自身が諦めたら、 夢はそこで終わっちゃいますもんね。そんな当たり前のことに気づいた22の夏でした。
 永井先生の、時に暖かくて、時に厳しいご指導によって、アナウンサーになりたい気持ちは、より純粋に、そして、試験に臨む姿勢は、より自分らしく、自然なものになりました。
 私のように、どよぉぉぉ~んと悩んでしまいがちな方は、永井先生の下を是非とも、訪れてみてください。暖かくて、いっつもいっつも、 何でかエールを送ってくださる永井先生が待ってますよ。



須田 健太郎 【10期生】
永井先生と初めてお会いしたのは、2007年2月1日でした。
当時はまだ大学一年生だった私。
初めて先生と目と目があった瞬間、涙が溢れてきました。
あの涙は、温かい涙でした。今でも忘れません。

大学4年間、たくさんの方から愛を頂きました。
中目黒の教室、恵比寿の庄屋、先生のお家。
いつも、どんな時も、永井先生、先輩方、10期生、後輩のみんながいました。

私一人では、決して辿り着くことはできなかった、険しい道。
皆さんに支えられて、夢への扉を開けることができました。

先生。先生の教えは、私の心のなかで永遠に生きています。
先生。今度は、私がたくさんの人に愛を届けなければいけません。
どんな時も、明るく、心をもって一生懸命。
先生。見ていて下さい。


タ行
高木 直人 【1期生】
 私は開校以来、永井先生が最も頭を悩ませた生徒の一人だったと思います。
 その頃の私はとても自信過剰な学生で、真剣にフジと日テレのどちらを断るか悩んでいました。しかし、アナウンサー試験に落ち続け、 結局就職留年。二年目も落ち続けました。天を指していた鼻には土がつき、試験から逃げ出したこともありました。しかしその度に永井先生の「高木君は絶対受かります。私は信じています」という言葉に励まされてきました。
 そして二年目の初夏、現在勤めている放送局から内定をもらいました。その日教室のドアをあけ、私が「内定です。」と言うと、私より早く先生の目から涙がこぼれ落ち、二人で泣きながら抱き合ったことは忘れられません。
 二年間の就職活動の中で、辛いことや苦しいことはたくさんありました。しかし、それ以上に多くのことを学びました。友達の大切さ、謙虚な心、 努力の大切さ。そして何よりも人生の中で「学校」と呼べる場所と「先生」と呼べる人に会えたことが何より幸せでした。
 先生、僕は長野で頑張ってます。



高蝶 恵介 【7期生】
 私と永井先生の出会いは各局の夏のセミナーが始まってからでした。
 セミナーで出会った友人に誘われるがまま、興味本位で一度訪ねたときのことです。東京アナウンスセミナーには同じ夢を目指す「ライバル」ではなく『仲間』がたくさんいました。初対面なのに長く友人であるかのように温かく迎えてくださった仲間たち、 先生のカウンセリングを熱心に受けている仲間たち、発声練習に一生懸命励む仲間たち。私はたくさんの刺激と衝撃を初日にして受けました。
 以来、できる限りアナウンスセミナーに通うように心掛け、仲間たちと切磋琢磨しました。そして、次々と始まる本試験に落ちていくなかで この仲間たちと永井先生は本当に心の支えとなってくださいました。一つの局に落ちるたびに落ち込んでいた私を先生の「大丈夫です。 一緒に頑張りましょう」という言葉が包んでくださり、立ち直ることができました。もし、一人で試験に挑んでいたらと考えるとゾッとします。
 東京アナウンスセミナーでは言葉遣い、心遣いを学ぶとともに、何より自分自身について知ることができます。それが内定への一つの鍵なのではないでしょうか。
 本当にありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします。



髙橋 映 【社会人】
 アナセミに入った頃、私は一つの夢を終えたところでした。

 その先の道に迷っていた私は、「話して伝える仕事をしてみたい」と思ってはいましたが、具体的にこれからどうしていけばいいのかわからずにいました。そんな時、今となれば運命だと思える偶然がきっかけでアナセミを知り、入学しました。

 社会人4年目の年で入った私は、最初は現役大学生の若くて輝いている様子や、忙しい日々の中モチベーション高く通い続ける社会人のみなさんを見て、大丈夫かな…と心配になりました。しかしすぐにその不安は払拭されました。
 アナセミは、とにかくあたたかい場所でした。どんな人とも、どんな時も、お互いを思いやり、声をかけ合い、助け合う。アナセミは本当に人と人とのつながりを大切にし、さらにつないでいくという、素敵な場所です。アナウンサーとして以前に、人としての勉強もさせていただいたと改めて感じます。

 先生方は常に愛情いっぱいに指導してくださいました。時には優しく、時には厳しく。自分のことのように一生懸命に接してくださいました。
 先生方の指導は、何から何まで私にとってすべて勉強で、アナセミに行くのがいつも楽しみで、ワクワクした気持ちでいっぱいでした。もちろん、涙を流したこともたくさんありましたが、その涙もすべて、今の自分を作ってくれました。
 いつしか自分の為よりも、先生方の為に受かりたい!そんな風に思っている自分がいました。

 やっと放送局に内定をいただいたにも関わらず、その後も不安でいっぱいだった私の背中を押してくれた先生方、仲間たち、OBのみなさん。最初から最後まで、アナセミのみなさんにはお世話になってばかりです。
 これからアナセミで学んだことを活かし、頑張る時。感謝の気持ちを返していきたいという気持ちの中、原元先生から貴重なお言葉をいただきました。
 恩返ししたいと思うなら、あなたがここで得たことを後輩に伝えていきなさい、と。
 アナセミで得た絆を、私自身もそうしてつないでいけるように、日々勉強していきます。アナセミ生になれて、本当に良かったです。これからも、末永くよろしくお願いします。

 新たな夢が、始まりました。いってきます! 



高橋 朋弘 【7期生】
 私が東京アナウンスセミナーの門をたたいたのは、7月中旬頃。
 「アナウンサーになる!」という夢を追いかけ、自分を信じて全国を駆け巡り、内定を頂いて1ヶ月が経とうとしている時でした。 内定は頂けたものの、それまで多くのセミナーや試験で指摘を受けたことを克服出来ないままでいた自分を不安に思い、自分をもっともっと磨こうと、アナウンスセミナーに入りました。私は、特にフリートークを苦手としていました。話そうとすることがうまくまとまらず、途中でとまってしまったり、 時には早口になってしまったり……。そんな時でも永井先生は、ノートをつけ自分の意見をまとめることを始め様々なアドバイスをしてくださり、カウンセリングでフリートークがボロボロになってしまった時でも「一緒にがんばりましょう!」と、やさしく支えてくださいました。 「明日13 時過ぎごろ、学校来られます?」と言っていただき、夏の日差しが照りつけるお昼過ぎ頃、学校へ行き、先生にフリートークを見て いただいたこともありました。こんな私のために時間を割いてくださり、親身になって対応してくださる先生が嬉しく、涙したこともありました。
 先生のたくさんの支えがあり、新人一年目の4月から番組を任せて頂くことが出来ました。アナウンスセミナーにはいつ顔を出しても元気よく発声練習している仲間たちがいて、苦しいときには支えあい、嬉しいときには一緒になって自分のことのように喜んでくれる仲間たちがたくさんいました。 本当にあったかい家族でした。アナウンサーとして最高のスタートが切ることできたのも、アナウンスセミナーの仲間たち、庄やさん、授業でお世話になった月岡先生、永井先生のおかげです。ありがとうございました。
 「永井先生!先生からフリートークで教えていただいたことは、自分が心から伝えようとする熱い気持ちと度胸だと感じました。苦しいときには、 本当に短くてでも充実した9ヶ月間を思い出してがんばります!ありがとうございました!!」



滝沢 雄一 【4期生】
 中目黒駅から徒歩3分に位置する細長い4階建ての平凡なビル。その1、2階の小さな部屋が私の夢をかなえる大きなフィールドでした。
 夢とはアナウンサーになることです。そしてそこには、夢をかなえる手助けを惜しみなくしてくれる一人の先生がいます。
 永井譲治先生です。誰に対しても優しく、厳しく接してくれる先生は、太陽のような輝きを放って私たちを心の底から支えてくれました。その結果、私は先生と出会ってわずか3ヶ月で内定を取ることができたのです。
 私が永井先生と初めてお会いしたのは大学5年生の6月を迎える頃。大半のアナウンサー試験が終わっていて、もうあきらめかけた時でした。しかし、先生と語り合った時から私の目はやる気に満ち溢れました。「あきらめることほど悔しいことはない」と強く思いました。先生に言われたことは とても簡単なことでした。「今からでも大丈夫です。あきらめないで下さい。一緒にがんばりましょう」その先生の飾らない励ましの言葉に私は涙を こらえることができませんでした。初めて会ったとは思えないような、一瞬で人の心を温める先生の思いやりで私は生き返ったのです。 
 それからの東京アナウンスセミナー生活は、大変充実した日々でした。共に学び、笑い、叫び、飲み、励ます……、一緒に夢を追いかける友人、 先生との夏は、あっという間に過ぎ去りました。悔しい時も苦しい時もアナセミがあるからすぐに立ち直れました。家族のような空間がそこにはありました。そして迎えた9月の中旬。現在の会社から採用の電話がかかってきたのです。今から思えば、先生と出会ってからの3ヶ月で私はかけがえのないものを取り戻していました。夢、希望、勇気……。この力が内定につながったのだと思います。
 私の夢物語はまだ始まったばかりです。ただ、その第1章はまぎれもなく中目黒にあります。もし、これを読んだ方は迷わず東京アナウンスセミナーの門を叩いて下さい。そして永井先生に会って下さい。全てがわかるはずです。



竹内 愛希 【11期生】
 アナセミに入っていなかったら、アナセミの仲間に出会っていなかったら、私は絶対アナウンサーにはなれませんでした。
向き不向きで言ったら"不向き"な私。人前に出るのが苦手で赤面症、アニメ声で自分自身にいつも自信が持てない…。
それでも、「伝えたいという想いと、心さえあれば大丈夫ですよ」と、アナセミは温かく迎え入れてくれました。
「向き不向きなら前向きに」と教えてくれました。向いていないなら人一倍頑張ればいいだけだと思わせてくれました。

大学卒業間近の1月にいただいた内定。周りの大学生よりも、私の就職活動は長距離走になりました。
焦り、悔しい気持ちは常に感じていました。
でも、リタイアする気持ちもありませんでした。走る途中で苦しくなったときに沿道から水やバナナを配る人がいるように、
たくさんの応援と励ましをもらったからです。
そして、何よりも、一緒にゴールを目指して走る仲間がいたからです。

アナセミには自分のこと以上に人を思いやることができる仲間がたくさんいます。内定のオムレツメールが回った瞬間、
すごい数の着信とメールをいただきました。同期だけでなく、受験が始まって頑張っている後輩や、すでに全国各地で活躍している先輩方からもいただきました。
「アナウンサーは人のために生きる職業」その言葉がすぐに頭に浮かびました。

アナセミ生で本当に良かった。感謝の気持ちでいっぱいです。
尊敬するアナセミの先輩方に続けるよう、人のことを考えられる伝え手になれるよう頑張ります。

何度言っても足りませんが、ありがとうございました!



竹内 里奈 【15期生】

「アナセミが無ければ、私の内定はありません。」
「アナセミは、人間として成長させてくれる場所」

私がアナセミの門を叩いたのは、大学4年生の6月。初めて最終試験に落ち、途方に暮れていた時でした。東京出身の私にとって、おばあちゃんの家があるその県が、最後の砦のように思えていたのです。最終試験に落ちることが、こんなにも苦しいのだと初めて知りました。「あと、一歩でアナウンサーになれていたのに。なんで私じゃなくて、友達なんだろう。」そう思いました。何度も何度も交通費をかけて通った地、何度も足を踏み入れた局、その局でアナウンサーとして働く自分の姿を夢に見てしまいます。一瞬にして、また振り出しに戻る現実。最初は耐えられませんでした。なんで自分が最後で選んでもらえないのか、理由も、もう分からなくなっていました。

そんな時に、私を見かねた先輩が紹介してくれたのが、「アナセミ」でした。「私はアナセミに行ってから変われたよ。」その言葉に、ワラをもすがる思いで、門を叩きました。毎週授業を受けて、週に2回くらい、カウンセリングを受けました。カウンセリングというのは、先生と一対一で、カメラで動画を撮りながら面接やカメラテストの対策をする、アナセミにしかない練習スタイルです。まず、このカウンセリングには、本当に驚きました。ここまで丁寧に面接練習をしてくれる環境はまずないです。そうしているうちに、夏になりました。4年生の夏は、みんな旅行にでかけたりしてたくさん遊んでいます。そんなときにも、「成長して早く内定したい」という強い気持ちを、折れることなく持ち続けられたのは、毎週、アナセミで丁寧にカウンセリングをしてもらえたからです。一緒にアナウンサー受験していた友人でも、夏前になると、心が折れてやめてしまう人がたくさんいました。ですが、本当に恵まれたことに、私は、毎回課題を見つけていただき、動画で自分の姿を隅々までチェックして、変わっていくのを実感できました。そして、いつもいつも応援して下さるアナセミの先生方、そして、一緒に頑張るアナセミ生の存在に支えられていました。

8月、基幹局の二次募集で、最終試験に残ることができたのですが、また、最終で落ちてしまいました。そんなとき、実践コースで、アナセミの原元先生に、「挨拶で元気の押し売りしてない?」と言われて、ハッと目が覚める思いでした。元気なのは、もちろん大事、でも、その場に合っていない元気さを出しすぎると、相手との温度差ができ、緊張感から壁ができてしまう。私は、TPOに合わせるということができていなかったんです。腑に落ちました。そこから、普段話しているような空気感で、面接官とも話せるように変わりました。そこから、2局目で、今の局に内定を頂きました。アナウンサーになりたいという強い気持ちを持ち続けられたこと、そして、変わるきっかけを貰えた場所、それがアナセミです。アナウンサー受験は、本当に苦しいと思います。でも、アナウンサー受験をして丸1年、この期間は、アナセミや、受験を通じて多くの人々と出会えたことで、私にとっては、必要な1年間でした。22年間の人生で、まだまだ本当に未熟なのですが、胸を張って、一番成長できた1年でした。それもやっぱりアナセミのおかげです。本間先生、安達さん、原元先生、本当に感謝の気持ち一杯です。どうもありがとうございました。これから、アナウンサー受験を頑張るみなさん、本当に苦しいのは確かですが、アナセミに入れば、強い気持ちを持ち続ければ、きっと大丈夫です!!頑張って下さい。応援しています。



武岡 智子 【1期生】
 私が先生の所を訪れたのは、第一志望の局を受けている途中でした。
 次々と試験が進むものの、心の中はいつ落とされるか不安に潰されそうでした。そんな時先生は、私と同じように一緒に苦しみ、そしてOBの紹介や模擬面接など出来る限りのサポートをして励ましてくれました。
 とうとう迎えた最終面接。女性5名のうち受かるのは2名。高校時代からどうしても入りたかった局。緊張で全身の感覚がないくらいでした。しかし、残念ながら結果は不合格。目の前が真っ暗になって、この局に入れないのなら、もうアナウンサーを目指すのはやめようと思いました。しばらく家にこもっていたのを覚えています。これまでにないくらい落ち込みました。
 しかし、今実際新潟という土地でアナウンサーをしているのは、先生のお蔭です。私のやりたいことをしっかりと覚えていた先生は、 新潟の試験が始まろうとしている時、こんな局はどう?と、その局に関する様々な情報を教えてくれたのです。新潟という土地に関心がなかった私は、 先生からの情報がなければ受けていなかったでしょう。そして、今アナウンサーという職業についていたかも分かりません。アナウンサーに なるためには、ほとんどの人が、情報と人とのつながり、そして努力を必要とします。この学校には、その全てが揃っています。今でも、 全国で活躍している仲間の様子を知るにつけ、なんとも言えないうれしさを感じます。今のこの充実した時間を過ごせていることに感謝しています。
 これからも、先生と私たちの後輩なる人達の活躍をお祈りします。



竹下 裕理 【社会人】
 「アナウンサーになりたい」と思い受験を始めたのは大学を卒業してから3年経った時でした。
 ふつうなら遅すぎると思ってしまうところですが、私が永井先生のところを訪ねた時、「大丈夫ですよー」と言ってくださいました。その言葉を信じ、 私の本格的なアナウンス受験が始まりました。盛岡、山形、富山、金沢、静岡と続けて面接があり、これが落ちつづけた時はさすがにへとへとでした。 半分意識がなく?自信をなくし庄やに向かいました。その時先生は「塞翁が馬ですよ!」と言って下さいました。なぜが先生の一言で、頑張るぞ!!とまたパワーが湧いてきました!
 その2日後、地元前橋の受験でした。前の週の落ち込みはなく、受験の前の日は不思議にもワクワクしていました。当日の面接は笑顔で締めくくることが できました。次の日内定の電話を頂き、先生に即「受かりましたー!」と電話しました。先生は、本当に心から喜んで下さいました。そして、その時アナウンスセミナーに来ていた後輩も電話の向こうで喜んでくれました。私ってなんて幸せなのーと実感した瞬間です。
 受かったことはもちろん嬉しかったですが、一緒に喜んでくれる仲間がいることがとっても嬉しかったです。入局して1年が経ちますが、今私は生きがいを感じています。



田島 葉子 【1期生】
 「私は、アナウンサーなんだ!!」金沢に住んで丸2年。4月で入社3年目を迎える今も、そう、幸せを噛みしめる瞬間が、毎日あります。
 これまで高校受験や大学受験など、なかなか思うようにいかなかった私は、中学校1年生の時から10年間思い続けていた夢も、きっと叶うこと はないのだろうと弱気になっていました。そんな時、永井先生に出会い、アナウンスセミナー(以下 アナセミに省略)に出会いました。
 アナセミは、「念ずれば花開く」諦めなければ、夢は必ず叶うということを初めて実感させてくれた場所です。諦めずに突き進んだ私の仲間たちは、 見事に夢を現実のものとしていきました。アナセミには、愛のある先生と、同じ夢を持つかけがえのない仲間がいます。とにかく、愛に溢れています。
 私はアナセミで、一生ものの出会いと一生ものの経験を得ることができました。これからも、全国で活躍している仲間たちと励まし合い、 夢に生きていきたいと思っています。夢を持っていることはとても素敵なことです。でも、その夢をスタートさせられることは、もっと素敵なことだと思います。



立石 典子 【社会人】
 何百人といる永井先生の教え子の中でも、時間的にも密度的にも、私ほど永井先生のお世話になった(煩わせた?)生徒は他にいないんではないかと自負(?)している者の一人です。
 世の中に向き不向きというものがあるのなら、たぶん私は、アナウンサーには向いていない方に属する人間であろうと思います。でも、なぜか、今、 私は局アナをやっています。ありきたりだけど、本当にそれは永井先生と出会えたからだとしか思えません。先生がいなかったら、私は「アナウンサーに なりたかった女の子」の一人でした。局アナになった今でも、「やっぱり向いていない」と大いに悩みます。なったらなったでパニックを起こしそうに なるほど悩み苦しみ、それは尽きることはありません。でもそれは、誰だって通る道。そう考えられるのも、永井先生がくださった暖かいお言葉が私の中にはちゃんとあるからだし、また先生の教え子である全国のたくさんの先輩アナウンサーの姿を身近に見てきているからだと思うんです。
 「やりたいけど、でも出来ないだろうな」と考えてばかりの私の背中を、永井先生が押してくださった。夢を見ること、そして努力してそれを叶えることの重要さを先生に教わりました。この先なにがあっても、それは私の財産だと思っています。



田中 良幸 【2期生】
 2001年8月31日、それは忘れることのない日になりました。
 その日はいつもと変わらず、アナウンスセミナーで永井先生にカウンセリングを受けていた。カウンセリングが終わり、隣の部屋にいると突然携帯電話が鳴った。出てみると「採用です!」の一言・・・。喜び以上に「長かった」という気持ちを抑えることができなかった。
 大学3年の9月、私はアナウンスセミナーに入った。当時、アナ試験は何とかなると根拠のない自信みたいなモノがあったのかもしれない。しかし、キー局、準キー局の試験が終わりほとんど結果の出せない自分がいた。それからは毎日1時間近くの発声練習、中目黒までの電車では筆記試験の勉強や電車の窓から見える風景の実況をしていた。映画を見たり買い物をしていてもフリートークや作文のネタを考えるようにしていた。しかし、それでもなかなか結果を残すことはできなかった。正直、自分はアナウンサーになれないかもしれないと夜一人で悩んだこともあった。それでも毎日努力し続けた。永井先生の「アナウンサーは才能ではなく努力でなるもの」この言葉を信じて。
 この1年は、今まで生きてきた中で一番辛いモノだった。もちろん試験を通じて友人がたくさんできること、全国のいろいろな特産物を食べることが できることなど良いこともあった。しかし、全国を駆けめぐるという肉体的な辛さはもちろん、試験に何度も落ちるという精神的な辛さがこたえた。もうスーツのシャツが半袖に変わっていた。受けた局は40社を超え、交通費とネクタイやシャツなどの雑費の合計は60万円を超えていた。
 そんな中、8月31日。いつものようにカウンセリングに行き、聞いたあの一言。念願の一言を聞いた喜びよりも、なぜか今まで頑張ってきた日のこと、 辛かったこと、悲しかったことを思い出してしまった。私にとってこの日はもちろん、この就職活動をした一年は、きっと忘れることはないだろう。そう断言できるくらい私の人生においてかなり激動の期間であった。しかしそれを乗り越えることができたのはあの先生の言葉があったからである。
 最後に一言「永井先生本当にありがとうございました!!」



田部井 肇子 【社会人】
 2004年4月、1期生の方の紹介で初めて東京アナウンスセミナーへ足を運びました。
 学生時代からアナウンサーを目指していたのですが、キー局は全て書類落ち、地方局もほとんど書類落ち。何の努力もしないまま大学を卒業し、一般企業で働いていました。しかし、どうしてもアナウンサーになる夢をあきらめきれず、アナセミへ通う決心をしました。
 アナセミでは「前向きに生きることの大切さ」を学びました。学生時代の私は「アナウンサーに本当になれるのだろうか」という不安でな気持ちで いっぱいだったのですが、アナセミで勉強するようになってからは「絶対アナウンサーになるんだ!」という前向きな気持ちに変わりました。 以前に永井先生から試験の前日に「面接に受かる気で行かなければ内定できませんよ」と言われたことがあります。その言葉にすごく納得し、それからは「絶対に受かるぞ」という気持ちで試験に臨みました。
 また、アナセミには社会人クラスの仲間が沢山いたこともとても励みになりました。仕事をしながらのアナウンス受験は、精神的にも体力的にもとても大変です。 月曜日から金曜日までは会社に行かなくてはいけません。会社の昼休みや睡眠時間を削って履歴書を書き、土日は地方局の試験。どんなに辛くても、 社会人クラスの仲間も頑張っているのだから自分も頑張ろう!と前向きに進んできました。その結果、2008年4月にキャスター・番組制作職で内定をいただく ことができました。

 2008年の6月に入社し、それからもう2年が経とうとしています。取材・原稿作成・編集などに追われる毎日ですが、とても充実しています。これからもアナセミで勉強したことを忘れずに、明るく、心を持って、一生懸命頑張っていきたいと思います。
 永井先生、本当にありがとうございました。



玉木 佑貴子 【11期生】

アナセミ

すばらしいカウンセリングや、アナセミのアットホームな雰囲気についても言いたいのですが、他の卒業生も書いてくださっているので・・・

私からは原元美紀先生の「終電までやるわよ!ついてきなさい、熱血実践コース」について(あれ、そんな名前じゃない?)。

「勝ち組になるのではなく、『勝ち癖をつけなさい』」
「アナウンサーにプライベートはない。常にアンテナを張っていなさい。」
「同期ができたこと(内定)が自分にできないわけないと思いなさい。」

(全て命令口調なのは、さておき・・・)
原元先生はテクニックだけでなく、アナウンサーとしての心得なども、熱いお言葉で教えてくださいます。
そして実践コースを受ける人は専用のノートを作り、授業内容だけでなく、先生の発する熱い言葉までメモします。
とは言っても、当時は先生の話しを聞き逃すまいと必死に書いたため、字がぐちゃぐちゃ・・・自分がいままで書いてきたなかでワースト1に読みづらいノート。それでも何度も読みなおしています。

ある日、もっと読みやすくしたいと思い、暇な時に他のノートに丁寧に書き写したのですが、なにかダメ・・・
清書して格段と読みやすくなったのに・・・
私は気付きました。
言葉から、魂が伝わってこないのです。
先生は授業で魂を込めて話し、私は先生の魂までノートに入れていたような気がします。
ノートの字はぐちゃぐちゃですが、そこから先生の魂や、必死について行きたい自分の負けん気など、すべてが凝縮されているのです。
清書をすることをやめ、当時のぐちゃぐちゃに書かれたノートが、生涯の宝物のノートになりました。
内定するまでも何度も読み返しましたが、キャスターとして働いている今も何度も読み返しています。

とにもかくにも実践コースお試しあれ。あなたの人生に大きな影響を与えるでしょう・・・ 



坪山 奏子 【6期生】
 数十社に及ぶ長い就職試験の途中、私はアナウンサーに向いていないのではないかと何度思ったことかわかりません。
 そんな私に、「向き不向きより前向きに」努力すれば、花は開くと教えてくださったのが、永井先生でした。 「回り道をした人の方が、 回り道をした人の気持ちがわかるアナウンサーになれます。人の心の痛みがわかるアナウンサーになるよう、頑張ってください」と。そして、納得が いくまで試験対策をしてくださったり、先生のヒューマンネットワークを駆使してOB・OGを紹介してくださったり、落ちても受かっても暖かく励ましてくださったり、私が「前向き」に頑張れるよう、いつも手を差しのべてくださいました。
 また、アナセミの先輩や同期・後輩の方々は皆、心から思い遣りあえる「仲間」となってくださいました。内定の瞬間あふれ出てきたのは、 感謝の気持ちです。私がアナウンサーになれたのは、なれるまで前向きに頑張れたのは、永井先生と永井先生の築いてこられたアナセミの「仲間」のおかげに他ならないからです。今後は人の気持ちのわかる、心あるアナウンサーになるべく努力し続けることが、永井先生と仲間への恩返しだと思っています。
 後輩の皆さん、これだけは本当です。あきらめず努力した人でアナウンサーになれなかった人は、アナセミにはいません!!永井先生と仲間と共に、 最後まで頑張ってください!



釣井 由美 【社会人】
 「自分を信じること!!」それが一番大事だと思います。
 「喋りの仕事」を夢見て、12年目にやっと花が開きました。昨年の4月「今動かないと何も変わらない」と思い、片道12時間の夜行バスに揺られ、 高知と東京を週末に往復し、アナウンス学校に通い始めました。
 年齢24歳。短大卒業。社会人だった私は、受験できるところも限られていました。今回合格するまでもほとんどが書類選考落ちで、一次試験まで行けたのはたったの2社だけでした。先の見えない状況でした・・・。
 合格した放送局の試験では、とにかくまず宮崎を知ろうと前日入りをし、観光に時間を使いました。自己PRもまともに言えなかった私は、その分 初めての宮崎で感じたことを正直に言おうと面接に臨んだのでした。
 合格通知のとき「受かると思わなかったでしょ」と笑いながら言われたのですが、まさにその通り。でも、嬉しいことにそのままの自分をみて くれているところが必ずあるんですよね。
 皆さん、「想いは必ず通じます」自分を信じて頑張って下さい。



豊田 瑠衣 【2期生】
 ~アナウンサーになりたいと思っているすべての方へ~
 アナウンサーになりたい!!!!!でも現実はかなり厳しい・・・と気づき始めた私が出会ったのが『いまを生きる~されどアナウンサー~』 永井先生がお書きになった一冊の本でした。すがるような思いでその本を読み、先生に電話をして学校に会いに行きました。不安でいっぱいだった私の話の一つ一つに耳を傾けてくださる先生、初対面にもかかわらずやさしく接してくれる生徒たち。
 「よし!ここなら頑張ってやっていけそうだ!!」早速、次の日からアナウンスセミナーへ。それからというものの、毎日のようにアナセミに通いました。どうしようもなくて泣き出してしまった時も、試験で疲れ果てた時もいつでも永井先生と仲間たちは私を支えてくれました。
 早すぎるということも遅すぎるということもありません。まだ大学一年生でも、あるいは既に社会人でも大丈夫!!どうしようと思っている方、まずはアナセミに電話をしてみてください。このホームページをみている時点であなたは夢に一歩近づいています。電話をかければ二歩近づきます。アナセミのドアをたたけば・・・さぁ、勇気を出して!アナセミは、永井先生は、たくさんの仲間は、あなたの夢をきっとかなえてくれます。
 ホームページ冒頭でもありました、「出会いは人生を決める」・・・ちょっぴり結婚相談所みたいですが、、、でも確かにアナウンサー試験はお見合い みたいなもの。自分とその放送局が合うかどうか。そのお見合いのお手伝いをしてくれるのがアナセミなのです!!
 私は永井先生のおかげでお見合いに成功し、いま鹿児島で幸せに暮らしています。これを読んでくださったあなたもお見合いに成功しますように・・・。


ナ行
中村 亜裕美 【7期生】
 先生の「中村さん。大丈夫です!」というお言葉は、私にとって魔法の言葉です。
 アナウンサー試験は、私が人生で初めてぶつかった、大きな壁でした。3年生の秋、初めて受験したテレビ朝日。大きな気負いもなく、等身大の自分に自信を持って、のびのびと試験を受けました。それがよかったのか、運良く最終試験まで残る事が出来ました。「私は必ず、テレビ朝日のアナウンサー になる!」そう信じて疑いませんでした。でも、何日経っても、電話はかかってきませんでした。“ありのままの自分が評価されなかった…"あまりに幼すぎた私は、まるで自分が否定されたかのように感じてしまい、自分の魅力を見失っていきました。試験を受ければ受けるほど、自信を失くしていく日々。一度は掴みかけた、アナウンサーという夢が、どんどん私から遠ざかっていく気がしました。
 そんな時に、私は永井先生と出会いました。先生は、数えきれないくらい多くの事を私に教えて下さいましたが、私が一番印象に残っている先生の お言葉は「中村さん。大丈夫です!」という一言です。試験通過の電話がかかってこない、と泣きべそをかいたり、時にはセミナー中の休憩時間に トイレにかけこんで、「先生、もうダメです!」とメールしてしまった事もあります。そんな弱虫な私に、先生はいつも必ず「大丈夫です!」という言葉を下さいました。いつになったら、ここから抜け出せるんだろう、と焦り、自分が真っ暗闇にいるように感じる時でさえ、先生の「大丈夫!」というお言葉は、あったかいココアのように、私の心を和ませて、落ち着かせてくれました。それは、今まで頑張ってきた自分を信じてあげること。そしてこれからも一生懸命 頑張り続ければ必ず「大丈夫!」ということ。
 私は先生と出会ってから、自分自身を信じられるようになりました。そして、その分、強くなる事が出来ました。本当にありがとうございました。これからも、自分を信じて、一生懸命に努力をして、必ず素敵なアナウンサーになります!



長井 紀幸 【15期生】
 「明るく、心を持って、一生懸命」、「向き不向きよりも、前向き」、「念ずれば花開く」。就職活動中の手帳を読み返すと、この3つの言葉が怖いくらい手帳の隅にびっしりと書き込まれています。今思えば、後ろ向きになりがちな自分に、無理矢理言い聞かせるようにして書き込んでいました。試験会場に向かって歩きながらブツブツ呟いていると、肩の力が抜けて背筋がピンと伸び、誰かに背中を押して貰っている感覚になります。内定した局の最終試験前も、繰り返し呪文のように唱えていました。前向きになれて、少しでも自分に自信が持てる不思議な言葉です。

 アナウンサー試験が始まった大学3年生の10月~12月にかけて、書類すら殆ど通過しない日々が続きました。その時、カウンセリングで「自分を知る作業が大事」と言われていたものの、正直私はそれを避けていました。ずっと後ろ向きで、謙遜ではなく自分に自信が持てなかった私は、「自分を知る」ということが嫌で仕方ありませんでした。これまでの人生を振り返る「自分史」を作った時も、どうしても自分の欠点にばかりに目が向きます。初めて受けた面接選考では、周りの受験者に対して劣等感を感じていました。どうして自分は周りの人みたいな華やかさがないんだろう、どうして自分は周りの人みたいに面白い答えが出来ないんだろう、と気後れして落ち込んでばかりでした。また、「アナウンサーを目指しているってことは、自分に相当自信があるんだね」と大学の友人に言われた時、彼が持つアナウンサーのイメージと自分自身との乖離を感じ、「アナウンサーになるべきじゃないのかも知れない」と思ったこともあります。

 大学やアルバイト先にいると、どうしても迷いや不安で頭がいっぱいになっていた私は可能な限りアナセミに通いました。アナセミで授業やカウンセリングを受けている間は、余計なことを考えずに「アナウンサーになる」という一心でいられたからです。先生方の授業を聞いたり、先輩・同期・後輩の皆さんと話したりしていると、自分がアナウンサーに向いているか向いていないかとか、余計で、小さな事で思い悩まずにいられたからです。その時も、ずっと教室にある「明るく、心を持って、一生懸命」「向き不向きよりも、前向き」「念ずれば、花開く」と書かれたオムレツを見ては、自分に言い聞かせていました。そうすると、また明日も頑張れる、次の選考は通過できる、と前を向くことができました。

 それでも、どうしても前向きになりきれず、自信を持ちきれないことがありました。入念に準備して迎えた最終試験で思うように行かずに落ちてしまったり、選考に通過しても自分の何が評価されているのかが分からなかったりすると、「なんで失敗してしまったんだろう」「自分自身をまだ知れていないんじゃないか」と反省してばかりでした。そんな試験の後は、自然とアナセミに足が向いていました。受験先で買ったご当地土産を囲んで、先生方と試験について振り返り良かったところと改善点を洗い出す。「気にしすぎですよ、長井くんは」と言われることも、しょっちゅうでした。先生方の言葉1つ1つのおかげで、後ろを向きそうになっても、前を向くことが出来たと感謝しています。

 大学3年生の3月下旬。念願叶って初めてアナウンサーの内定を頂いた時の、あの驚き・歓喜・安堵の気持ちはそれまで感じたことがない感情でした。そして真っ先に電話した先は、アナセミでした。号泣しながら報告する私を、本間さんと安達さんが「おめでとう!」「良かった!」と言ってくださった時、本当に、本当に、アナセミに通ってよかったと思いました。普通の言葉のはずなのに、一緒に喜んでくれていることが電話越しでも十分伝わってきたからです。

 憧れの職に就く、ということで、以前より前向きになって自分に自信を持てた気がしています。もしまた後ろ向きになりそうだったり、自分に自信が持てなくなったりしたら、「明るく、心を持って、一生懸命」、「向き不向きよりも、前向き」、「念ずれば花開く」をまた呪文のように呟こうと思います。アナセミは、夢を叶えさせてくれた場所でもあり、自分を前向きに変えてくれた場所でもあります。心から「アナセミでよかった」と思います。先生方、先輩・同期・後輩の皆様、OB・OGの皆様、本当に、ありがとうございました。これからも、よろしくお願いします。

 大好きなテレビとラジオに囲まれて、大好きな土地でアナウンサーが出来ることに感謝しつつ、これから精いっぱい頑張ります!!また、アナセミにお邪魔します! 




長澤 彩子 【10期生】
 私を変えてくれた場所。それがアナセミでした。

 永井先生に出会う前は、生意気で敬語もままならない学生でした。しかし永井先生は出会った当日に私の性格を見抜き、叱ってくださいました。こんなに人を見抜く力がある先生がいらっしゃるなら…と入学を決意しました。

 家庭の事情でアナセミにあまり通えなかった時期のことです。永井先生は庄やさんで、泣きすぎて声にもならない私の話をずっと聞いてくださいました。そして別れ際は、いつもは優しい握手なのに、その時はがっちりと固い握手をし「長澤さん、今度私の家でワイン会をしましょう!」と笑顔で言って くださいました。それだけで心が救われ、更に泣いてしまいました。

 3年生の夏は毎日アナセミに通いました。今思うと永井先生の顔が見たくて通っていた気がします。 夏だけであっという間に就活ノートも最後のページになりました。私のノートを見て永井先生は「このまま努力し続ければ大丈夫です」と言ってくださいました。 不思議ですよね。永井先生の「大丈夫です」は本当に大丈夫な気がしてしまうのです。

 夏のある日、いつものようにアナセミに通い、永井先生と笑顔でお別れの挨拶をして…まさかこれが最後の挨拶になるとは思いもしませんでした。

 永井先生が亡くなったショックが大きすぎて、私は目の前に差し迫っているアナウンサー受験に身が入らなくなってしまいました。何をやっても空回り。 集中力もなし。こんな私を救ってくれたのがアナセミファミリーでした。

 永井先生に代わってカウンセリングをしてくださっている原元先生はお仕事の日でもないのに、わざわざ私のためだけにアナセミに来てくださいました。 先生は私の話を一緒に涙を流して話を聞いてくださいました。私のために涙を流してくれた先生は生まれて初めてでした。 先生の激励もあって、私はもう一度気合いを入れ直すことができました。

 しかし最初はなかなか上手く行きませんでした。努力しても結果がついてこない。そんな時期、側で励ましてくれたのが10期の仲間でした。 私は弱音を吐くことがすごく苦手でした。しかし10期の仲間は強がりな私の言葉の真意を理解してくれ、受け止めてくれました。 一緒にエントリーシートを徹夜で書いたり、面接対策をしたり、お互いの自己分析をしたり…強がりなのに吹っ切れると一気に泣いてしまう私を、 仲間はずっと支えてくれました。本当に本当にありがとう!離れててもずっと大好きだよ☆

 こんなに他人を思いやることができる仲間がいるのはアナセミだけです。だからアナセミの仲間は「家族」なのです。

 2009年6月5日。念願叶って福島のテレビ局から内定を頂きました。更に幸せなことにアナセミの同期とのW内定でした。 内定した日は一日中アナセミの方々からの着信で携帯電話が鳴りっぱなしで、アナセミの絆を再確認しました。

 私がアナウンサーになれたのは他ならぬ周りの方々の支えのおかげだと心から思っています。 永井先生、先生方、本間さん安達さん、OB・OGの方、先輩方、10期のみんな。皆様のお力があっての尊い内定です。本当はここにお一人お一人に感謝の メッセージを書きたいくらいです。心から感謝致します。

 永井先生の教えを受け継いだ最後の期として恥じぬよう、愛のある話し手を目指します。


名越 涼子 【7期生】
 最後に「贈る言葉」を贈ります。
 毎日毎日アナウンスセミナーに通い、毎日のように庄やさんで泣いていた時を思い出します。
 東京キー局の試験が終わり、大阪の局を受験し始めた頃でした。先輩方、そして同期に励まされては泣き、自己PR がまとまらなくては泣き、先生の暖かく厳しいお言葉に泣き、ついには私事で泣いていました。私があまりにも毎日泣くので、庄やさんでの私の席は一番端と決まっていましたよね……(笑)。しばらくたって私が泣き止むと、私を隣にそっと座らせてくれ、先生はお話を聞かせてくださいました。
 泣いてばかりの私が、それでもアナウンス受験を続けられた理由。それは庄やさんでいつも私を待っていてくれた同期の存在、そして永井先生でした。 自己PR が完成せず、フリートークもままならない、写真は何枚撮っても納得いかない。中目黒のコーヒーショップに一日中こもりエントリーシートと にらめっこすること5時間、不安な気持ちで体と心がいっぱいになってしまった私が駆け込むのはいつも庄やさんでした。「名越さん、こんばんは」。いつもと変わらぬ先生の笑顔に救われ、私はいつも前向きになることができました。私のエントリーシートが終わらず、朝まで考え、一緒にいてくれた同期がいました。庄やさんからの帰りの電車の中で、フリートークを聞いてくださった先輩がいました。庄やさんにはいつも暖かい空気と愛があふれて いました。
 思い出しては心が暖かくなることばかりです。本当に、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。本当に幸せなことだと感じています。本当にありがとう ございます。東京アナウンスセミナーと出会い、アナウンサーという仕事を通し、「人としてどう生きるか」を先生は教えてくださいました。アナウンサーに内定した今、先生のおっしゃていた言葉一つ一つが本当に心に強く感じてきています。「前向きに生きること。」それがどれほど苦しいことか、そして どんなに素敵なことかを先生は命をかけて教えてくださいました。
 先生。本当に、本当にありがとうございます。いよいよ、アナウンサーとして第一歩が始まります。日本語もままならず、未熟者ですが前向きに、 心を持って、精一杯がんばりたいと思います……!永井先生。これからもご指導のほど、よろしくお願いいたします。




西 美香 【6期生】
 アナウンサー受験が全く思うように進まず、行き詰まってしまった3年生の2月。エントリーシートや面接で落ち続けていた私は、「アナウンサーに なって『コレ』をやりたい!」というハッキリした志望動機が見つからないことを悩んでいました。中学生の頃からの夢だったアナウンサーになるため大学の放送研究会で活動を続けてきた私にとって、「アナウンサーになりたい」という気持ちはとても強いものでしたが、その気持ちが強すぎるあまり、 面接でうまくやろう、失敗しないようにしよう、と構えてしまい、いつの間にか、「やりたいこと」よりも「自分に向いている分野が何なのか」ということ ばかり考えるようになっていました。
 何がやりたいのかハッキリわからない状態でアナウンサーを目指し続ける自分が何だか許せなくなって、どうしたらいいのかわからなくなり、永井先生に ご相談をしました。すると先生は、アッサリと、「アナウンサーに、なりたいか、なりたくないかで、いいんじゃないですか?」とおっしゃいました。 「先のことなんてわかりません。今、とりあえずは、こんなことをしてみたいと思う、ということを、アナウンサーになりたいのなら、探してみれば いいんです。大丈夫です、西さんならなれます。私は信じてますから」先生のこの言葉で、全てが吹っ切れました。「私はアナウンスが好き。アナウンスを するのが楽しいし、面白いと感じる。だからアナウンサーになりたい」改めてその気持ちを思い出すことができました。
 その後もしばらくは面接が通らずくじけそうになりましたが、行き詰まったときにアナセミや庄やさんに行くと、永井先生やアナセミの仲間たちの温かさに支えられ、助けられました。『向き不向きより前向き』この言葉は今でも私の心の支えです。
 永井先生、アナセミの皆さん、本当に、本当に、ありがとうございました!




西岡 愛 【14期生】
温かくて、時に厳しく、真剣に物事や自分と向き合える。
そんな環境があるのがアナセミです。

アナセミへ通い始めた当初、私はなかなか真剣になれませんでした。そんな私に先生方は「発声練習は1日やらなかったら3日後退する」「本気で取り組みなさい」と全力で叱ってくださいました。

少しずつ、憧れの気持ちが本気に変わっていったように思います。

4年の秋頃になっても書類がなかなか通らず、同期が試験を受けている中で「私はまだスタート地点にも立てていない…」と不安で押しつぶされそうになったこともありました。
そんな時も「チャンスが来たときの力を今蓄えておけば、必ず大丈夫!」と励まして下さったおかげで、行動を止めずにアナセミへ通い続けることが出来ました。

やっと書類が通った時、「今なら試験が怖くない。まだまだ粗削りではあるものの、いつも通りやれば絶対に大丈夫」と自分でも思えるまでになっていました。アナセミでやってきたことがお守りのように試験の時に大きな自信に変わっていました。

自分と向き合って不甲斐なさに悔しくて涙を流すこともありました。それでもアナセミに通いたい、また明日も行きたい!と思えるくらい温かくて、素敵な先生や同期、先輩方、後輩がいます。

アナセミは私の原点だと思っています。今後迷うことがあったとしても、アナセミを思い出してまっすぐ進んでいきます。原元先生のノートは今でも読み返す、私の宝物です☆

本当にありがとうございます。 これからもよろしくお願いします


西沢 綾子 【2期生】
 私がアナセミの扉を開けたのは、大学3年の秋でした。
 自己PRもうまく書けずという自分を出していいか分からない時、永井先生は「大丈夫ですよ~。これからです。頑張りましょう~」と声をかけて下さいました。そして、アナセミには同じ目標をもった仲間が沢山いて、互いにはげましあい、何でも言いあえる貴重な友人に出会うこともができました。今、仕事をしている時でも、ふと先生の顔、仲間の顔を思い出します。
 今の私が充実した人生を送れているのはアナセミのおかげです。本当に感謝しています。内定した時の“オムレツ"の写真(メッセージ入りのオムレツ)は、お守りのようにフライトに持参しています。また、面接の前、勇気を下さった永井先生の手のぬくもりはけして忘れません。ぜひ、アナセミの扉を叩いてみて下さい。アナウンサーはもちろん、一般企業にも強い味方のアナセミ。人生のフライトを満喫しています。
 Enjoy your flight Enjoy your life!!




西村 美月 【2期生】
 気がつけば、2年と9ヶ月が経っていました。
 3年生のはじめに初めてアナセミに来た時、私はなぜ「話す」仕事をしたいのか、先生を相手に延々と2時間も話した記憶があります。その時も、そしてそれからもずっと、先生は私の気持ちを頑張って理解しようとし、そして実際理解してくれました。
 夢見ることを、諦めたことはありません。でも、夢自体をすりかえようとしたことは何度もあります。「せっかく"私"という人間として生まれて きたんだから、私が持っている"才能"を見つけてあげたい」という思いが物心ついた頃からあって、時にそれを理由に、夢を志半ばで捨ててしまうことも ありました。「もっとスゴイ何か」をいつも夢見ていました。「話す仕事」も、そうなる可能性は多分にありました。
 アナウンス受験という試練に挑んでいた時、こんなにも向いてない職業が他にあるかと、何度も思いました。「"才能"のある人はとっくに内定してる。 私はかすりもしない。頑張る云々の問題じゃない」と。でも、今回ばかりは、簡単には捨てられなかった。それは、なぜなら・・・、アナセミにいたから。そして、一緒に頑張る仲間がいたから。先に内定した仲間が見せた笑顔に勝る笑顔を見たことがなかったから。そして、永井先生がいたから。永井先生を喜ばせたかったから。そして私自身、仲間が見せた最高の笑顔をしたかったから・・・。私の持っていた偏屈な夢の哲学は、人の心によって解凍されて いました。
 そして、今現在夢を持っていることの喜びや、それに伴なう試練を楽しめるように、いつの間にかなっていました。結果が出始めたのはちょうどその頃。 夢見ることを、自分への義務ではなく心から楽しめるようになった時、それまで捨ててきた夢さえも、私を応援してくれていることに気がつきました。すべての夢を総動員させて立ち向かった結果、ひとつ、夢を叶えることができた。生まれてきてその時ほど、夢見ることの尊さを感じたことはありません。アナウンス受験のスゴイところは、良くも悪くもそれまでの人生を問われるところ、だと思います。何かの才能に秀でているだけじゃ絶対なれない。 言い換えれば「人として」生きることを頑張っている人なら誰でもなれると思う。まずは、そんな自分を認め、愛し、素直になること。永井先生門下に伝わる「向き不向きより前向き」という言葉は、綴りより遥かに重く、遥かに深い意味があることを、ひとつ夢を掴んで初めて実感しました。
 今、このページを開いている人は、すでに夢を見始めています。自分で探し当てた夢を信じて、愛してあげてください。ここは、あなたを等身大で理解して くれる場所です。




根岸 佑輔 【7期生】
 「諦めないで前を向いてまた一緒に頑張りましょう。学校で待っています」
 この言葉に何度救われたかわかりません。私は本当に幸せだったと思います。自分のように弱い人間がアナウンサー受験を乗り切れたのは、このような言葉を心の底から掛けてくれた永井先生に巡り会えたからです。そして、ただのライバルではなく、同じ夢に向かう本当の仲間がいたからです。内定を祝っていただいた時、会場に同じ最終試験で涙を飲んだ1人が足を運んでくれました。そこで彼は先生や他の仲間と同様、心から祝福してくれました。私にはもう一つの温かい家族があったのです。
 大学3年の秋から本格的に始まるアナウンサー試験。内定に手がかかったかと思うと、また一から出直し。その繰り返しでした。「甘く見ていたわけ じゃないけど、こんなに辛いなんて……」。一度こんな言葉が脳裏をかすめると、もう全てが嫌になって、自分の部屋で何もしないでぼーっとしていたく なります。先生に電話で「ダメでした」と告げます。「そうですか……」。少しの間があきました。自分の事のように悔しがってくれているのがわかりました。 次の瞬間、「何があっても、良い結果を出して一緒に喜んでもらいたい」という思いがみなぎって、また電車で中目黒へ向かっていました。
 もう一つ、永井先生が掛けてくださった印象的な言葉があります。授業やカウンセリングのあと、夜は庄やさん。いつものように優しい口調で「人間は自分のためだけじゃなかなか頑張れないんですよ。ここには応援してくれる仲間がこんなにいます。みんなのために頑張ろうと思えばきっと良い結果がついてきます」。昔の自分は、相手を引きずり下ろしてでも内定を取れば勝ちだと思っていたと思います。「本気で周りの人間を尊敬し、応援し、 本気で自分以外のために頑張る」。そのことが東京アナウンスセミナーで永井先生をはじめ多くの人と出会い、自分にとって嘘なくできるようになったことは何よりの財産です。
 最後に先生。まだまだ至らない部分の多い未熟者ではありますが、これからもよろしくお願い致します。どうぞお体に気をつけて、多くの人の愛を与え、 夢を叶える手助けをしてあげてください。私は山梨で、明るく心を持って一生懸命頑張ります!
 いつもありがとうございます。




野尻 英恵 【13期生】
 アナウンサーになるという夢は、私が人生で一番、真剣に追い求めたものでした。それをどんなときも支えてくれたのがアナセミです。厳しくも愛をもって接し、導いてくださった先生方、努力の姿勢を示すとともに勇気をくれた先輩方、アナウンサー受験は団体戦と励ましあった同期たち。アナセミの輪がなければ、今の私はいません。すべての方に、心から感謝の気持ちを伝えたいです。

 アナセミで過ごした二年半。それはアナウンサーという職業を目指す訓練以上に、心をもった伝え手としてふさわしい人へと成長するための人生の修行だったように感じます。アナセミでの思い出は数えきれないほどありますが、印象的なことの一つは、最終試験の前日に訪れたときのこと。原元先生が授業に飛び入り参加させてくださり、みんなで語り合ったこと。鼓舞してくれた安達さんの涙も忘れられません。アナセミを出るときには、なりたい、が「覚悟」に変わっていました。

 地方受験の帰りの電車で何度も泣いたことも、本気で人とぶつかったことも、数々のつらかった経験は、さまざまな困難を抱えた人にもせめて寄り添うための試練だったように、今では思えます。アナウンサーになるために、無駄なことは一つもありません。これからアナウンサーを目指す方に伝えたいことは、すべてのことに意味があり、肥やしにして、前向きに突き進んでいただきたいということです。

 私も多くの人に支えられてここまで来られたことに対する、感謝の心を常にもって、これからも邁進していきます。 


登田 真由子 【4期生】
 人生を変えてしまうほどの出会いがあるのだと、私は今実感しています。
 私が永井先生のあたたかさ、そしてアナウンスセミナーという家族に出会ったのは今から約3年前になります。アナウンス受験がどのようなものなのか、どんな準備をすればよいのか全く分からなくて、あるアナウンス学校の見学をしました。そこで偶然にもアナウンスセミナー(以下アナセミ)のことを教えてくれたのです。違うアナウンス学校でアナセミのことを知るという、とても不思議な出会いが、私を永井先生が待っていてくださるアナウンスセミナーという場所に導いてくれました。
 初めてアナセミに訪れた時は教室中に響きわたる「ア、イ、ウ、エ、オ」「青なっぱ赤なっぱ」という発声に、ただただすごい世界だなと驚かされる ばかりでした。自分はこんな大きな声は出せなし出来るようになるのだろうか、と少し不安を感じていた私に永井先生はぎゅっと握手をしてくださって「一緒に頑張りましょう」とおっしゃってくださいました。初めて教室を訪れた学生にもちゃんと向き合ってくれる先生がここにはいる、私はアナセミに通いたい、そう強く感じたことを今でも覚えています。
 3年生の夏頃から始まった試験は、書類が通らかったり1次面接で落ちたりの連続で、ゴールの見えない道を歩いているようでした。そして最終試験で だめだったり、季節の移り変わりを感じたりすると、私はアナウンサーになれるのだろうかという不安に押しつぶされそうになることもありました。それでも、次の試験に向けで頑張ろう!やっぱり諦めたくない、そう思わせてくれたのは、永井先生という素晴らしい先生と仲間がいるアナセミのおかげだと感じずにはいられません。「登田さんは大丈夫です。一緒に頑張りましょう」とぎゅっと握手をしてくださった先生に何度も助けられました。
 自己PRやエントリーシートを見て一緒になって考えてくださって先輩方、試験が通過したとき自分のことのように喜んでくれた仲間たちの存在に私は支えられていました。私がいただいた内定は、自分ひとりの力ではありません。永井先生やアナセミの仲間がいてくれたからだと実感しています。アナウンサーになりたい、そう感じている人がいたら一度中目黒に足をはこんでみてください。きっと、永井先生の元でアナセミの仲間と頑張っていきたいと感じていただけると思います。私もまだスタート地点についたばかりですが、一緒に頑張りましょう。


ハ行
馬崎 加奈子 【社会人】
小学生の頃からアナウンサーになりたいと思っていました。しかし情けない話ですが、大学生の就職活動の頃、頭の隅に「アナウンサーという仕事を目指したい」という気持ちがあったのにもかかわらず、「どうせ私なんてなれない」と多くの優秀な人達が揃うアナウンサー職の就職前線にでていく自信もなかったのです。今ふりかえれば、学生の頃自分の人生について、私はどう生きていきたいのか考えなかったのだと思います。就職して2年くらいが過ぎ、目標もなく生きているのに生きているような気がしない毎日をどうにかしたい、と思うようになりました。そして「駄目でもいい、自分が本当にやってみたい事に挑戦したい」と思い、遅いスタートでしたが私はどうすればアナウンサーになれるのか考え始めました。「いつでも見学にいらしてください」。永井先生は、宮崎から来た私にこう言ってくださいました。そして宮崎から東京に週末通うようになりました。それから私は会社を辞め、東京に出て働きながら8ヶ月間アナウンスセミナーに毎日のように通いました。そして今は、地元宮崎のケーブルテレビ局で働いています。現在の職場では、話すこと、取材、原稿作成、編集そのほか番組制作に関わる事全てをやっています。今私を支えているのは、永井先生、先生達、そして生徒さん達から学んだ事です。永井先生は、伝え手であるアナウンサーを育てることに本当に全身全霊で取り組んでいらっしゃいます。授業で指導してくださる先生方は、アナウンス技術だけでなく、「放送とは何か、伝え手とは何か」ということを教えてくださいます。そして、そこでここで学ぶ生徒さん達は同じ道を目指しながら互いに影響しあい学んでいます。宮崎から学校見学に訪れた際、「がんばりましょう!」と言って両手でしっかりと握手してくださった永井先生、あの時の先生の手のあたたかみ、お言葉を私は忘れません。先生にお会いできた事、東京アナウンスセミナーで学んだことは私の人生にとってはとても大きな出来事でした。これからもこの事を支えにしていきたいと思います。もし、私のようにアナウンサーを目指したいけど、自信がなかったり今一歩踏み出せないという人がいたら、一度東京アナウンスセミナーの門をたたいてみてください。きっと何か見つけられると思います。



枦山 南美 【2期生】
東京アナウンスセミナーでの1年半は私の人生においてとても大きなものでした。「アナウンサーになりたい!」と思って勤めていた会社を辞め、大学に編入しアナウンス受験を受け続けていたあの頃。受けては落ち、の繰り返しで私はこれでよかったのかなと弱気になったことも度々ありました。しかしそのたびに励ましてくださったのが、アナセミの仲間や永井譲治先生。あのときもし一人だったらくじけていましたよ、きっと。卒業間近で内定が出ていなくても、仲間たちの内定も心から「よかった!おめでとう!」と喜べちゃうんですよね。アナセミはそういうアットホームな雰囲気を持っているところです。自分はひとりじゃないって思わせてくれるところです。私がこんな気持ちになれたのもアナセミの仲間や永井先生のおかげだと心から感謝しています。受験を通していろんな場所へ行き、多くの人と出会えたことは一生の宝物です。今思うと、すべてに意味があったと感じます。まだ受け続けているみなさんも、自分を信じて頑張って欲しいです。先生がおっしゃった『念じれば花開く』まだまだつぼみの私はいつまでもこの言葉を胸にアナウンサーを目指していたあの頃の気持ちを忘れずに前進したいと思っています。永井先生、心から感謝しています。どうぞこれからもお体に気をつけてお過ごしくださいね。




H・T 【14期生】
「アナウンサーになりたい」そう思ったのは小学校一年生の頃でした。最初は憧れだったものが、いつの間にか絶対に達成したい目標に変わっていました。そして中学生の頃、永井先生の書かれた本と出会いました。夢を叶えた人たちがみんな持っていた「オムレツ」。わたしもこうやって祝われるようになりたい、と思ったことを鮮明に覚えています。それから、八年の時を経てアナセミへ通うこととなったのです。きっと中学生の頃読んだあの本が、永井先生が引き合わせてくれたのだと思います。

アナセミでの学びは私にとって大きな糧になりました。絶対に絶対に絶対に夢を叶えるんだ、という思いが日に日に増していき、気持ちが高揚していました。そんな気持ちがありながらも、なかなかアナセミに足を運べない私を先生方は見捨てず、優しく、力強く支えてくださりました。とても感謝しています。有り難う御座います。

そして、アナウンサー受験をずっと受け続ける中で、辛いことが沢山ありました。人知れず、時には人前で泣くこともありました。悔しさと悲しさと自分への苛立ちから、どうしたら良いのか分からず立ち止まりそうになったこともありました。しかし、アナセミに来れば話を聞いてくださる先生がいて、頑張っている仲間がいる。話せば共感し、励まし合え、切磋琢磨出来る仲間がいる、それだけで気持ちが落ち着きました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。永井先生の本に出会えたこと、アナセミに通えたこと、優しく見守ってくださる先生たちや切磋琢磨出来る仲間と出会えたことがとても嬉しいです。諦めず、粘り強くやってきて良かったです。

叶えたい夢があるならば、諦めず走り抜くことが大切なのだと実感しています。

関わってくださった全ての皆様への感謝の気持ちを忘れず、成長し続けられるよう努めます。



長谷川 萌 【12期生】
 アナセミに通おうと決めたのは「家から近かったから」。ただこれだけの理由でしたが、いつも家に帰る電車で必ず中目黒を通るので、嫌なことがあったり、落ち込むことがあっても「近いし、とりあえず行ってみよう」と思うことができました。カウンセリングに通い始めてからは、「色んな経験をしてきたはずなのに、どうして上手く話せないんだろう」と悩む日々ばかり。しかし、ある時先生に「引き出しは沢山あるんだから、もっと引き出す練習をしたら?」と言われたのがきっかけで、恥ずかしい経験や今まで小さ過ぎて人に話したことすらない些細な経験も、毎日の生活の中で沢山の人に伝えるようにしていました。いつでも引き出せる引き出しが多くなるにつれ、面接で何を聞かれても大丈夫!という自信を持てるようになりました。私にとって、常に引き出しを半開きにしておくことが、内定への一歩だったと感じます。
 アナセミに在籍していた一年間、最終試験前にいただいた「内定へ頑張れ!」オムレツ、内定後にいただいた「内定おめでとう」オムレツ、そして最後の壮行会では「羽ばたけ!」と書かれているオムレツをいただいたことは、今でもその時の感情を鮮明に思い出せる程、一つ一つが本当に心の底から嬉しかったです。
 アナセミの皆様、今まで本当にありがとうございました。 



花岡 賢 【社会人】
 無職、無資格、無計画でもアナウンサーになれました。








早坂 牧子 【5期生】
「夢は諦めなければ叶う」よく耳にするこの言葉。東京アナウンスセミナー(以下アナセミ)に初めて訪れた大学2年生の春休みの自分にとっては、そんなこと成功者の言う言葉だ。とひねくれていました。高校生の頃に持った宝塚の舞台への夢が忘れられず、未だに大学生活も充実させることができず楽しみがないという心理状態でした。永井先生は初対面の私に「早坂さん、過去ではなく今を生きてください」とおっしゃりました。その時の真剣で鋭い眼差しと優しい口調は今でも鮮明に記憶に残っています。過去に縛られている自分に気がついていたのに、目を反らせて気づかないフリをしていた自分のことを初めて情けなく、恥かしいと感じました。アナセミ初訪問の際、大学生3年生・4年生の方々はもちろん、社会人や既卒の方々も発声練習をしカウンセリングを受ける姿を目にして驚きました。「そうか!アナウンサーを目指すには年齢制限がないんだ!」そのことを知り、諦めずに必死で努力すればいつかはアナウンサーになれるかもしれない……、とアナウンサーへの小さな想いは一気に大きく燃え上がりました。夢を持ち、目標に向かって進むつことに不安を抱いている方。アナセミに毎日通い、練習していれば「悩むより、行動に移そう!」と前向きな気持ちになれます。勇気を持って前進してください!!1、自然に挨拶をすることの大切さ。2、自分らしく生きる強さ。3、仲間、先輩、後輩の存在の大きさ。この3つをアナセミで学び社会人として羽ばたきます☆ 永井先生、2年前に私を目覚めさせて下さり有難うございました。よき薫陶を受けることができたことに感謝致しております。今後ともどうぞ宜しくお願い致します。



原渕 由布奈 【6期生】
就職活動を始めて、およそ一年が経ちアナセミからも遠ざかっていた頃……、「ここでアナウンサー受験を終わりにしよう」そう決めて、福井県にあるテレビ局の試験に臨みました。決して後悔することのないよう、先生を信じて通える日は毎日アナセミでカウンセリングを受け、また、それまで受験地のことを調べるようとしなかった私が、先生のアドバイスを受けて、福井の特色・地理・歴史を勉強しました。その結果、なんと先生の誕生日に、「内定」というプレゼントを贈ることができたのです。アナウンサーを目指しているけれど、努力の仕方がわからないという皆さん、アナセミの門を叩いてみてください。きっと永井先生が内定へと導いてくださいますよ。



平松 奈々 【7期生】
1億2千万人分のお1人である永井先生に出会えたことは偶然でしょうか?必然でしょうか?私は、必然だと思います。先生は「ご縁」という言葉をよくおっしゃいます。私が内定をいただいた長野放送とも「ご縁」があったように感じます。まず、2006 年3 月31 日に先生のご依頼のもと、「長野放送採用試験」のオムレツメールを送信させていただきました。次に、当時毎日通っていたアナセミに、1次試験の前日にたまたま行けなかったのですが先生がお電話をくださり、進行表の内容を教えてくだいました。そして、1 次面接を受けた後の報告のオムレツメールも私が送信したのです。あまりなかったシチュエーションが何度か続き、その結果2006 年5 月24 日に内定をいただくことができました。目に見えるような「ご縁」と出会うことができました。本当に嬉しく、長野から東京に戻って先生の顔を見た途端に先生に飛びついて抱き合って喜んでしまいました。あのときの気持ちは一生忘れられないものであると思います。1 月に再びアナセミに通いはじめてからも先生は快く私を受け入れてくださり、リポートや原稿読みのカウンセリングを見てくださり、非常に感謝しております。アナセミで勉強したことを仕事に活かし、多くの人に様々な感動や幸せを伝えていけたらいいなと思っています。先生には何と感謝すればいいのか適当な言葉が見つかりませんが、これからも先生やアナセミの仲間と出会えた奇跡のようなご縁を大切にしていきたいと思います。大好きな永井先生、これからもこんな私をどうぞよろしくお願いいたします。明るく、心を持って、一生懸命!アナセミ万歳!!



藤本 晶子 【5期生】
右も左もわからない、化粧の仕方も、おしゃれの仕方も何一つわからない私が、永井先生とアナウンスセミナーのみなさんに出会ったのは、二年近く前になります。初対面から、先生はやさしく手をさしのべてくださって、「頑張りましょう」と言って下さいました。それからは、とにかく、先生のおっしゃることを聞き、素直にやってみるということを繰り返しました。素直に!というのは、簡単なようで難しいということが、この二年間でよくわかりました。自分の考えと、多くの人からの助言との狭間で苦しんだ時期もありました。また、人の意見に流されっぱなしで、自分の考えや、自分自身がわからなくなることもありました。しかし、私はどんな時でもアナウンスセミナーに通うことをやめませんでした。苦しい時だからこそ、毎日、先生の顔を見て、一緒に戦っている友人たちに会うことで、救われていたことを思い出します。私は、自分の悩みや愚痴を他人に言うのが苦手なので、落ち込んでも一人で思い悩む癖がありましたが、アナウンスセミナーに行き、みんなの笑顔に会えただけで頑張れたように思います。確かに、就職活動は孤独な戦いです。頑張ったら、その分成果が出るかと言われればそうでもなく、運や縁に作用される部分もたくさんあります。その中で、確固たる意志と覚悟、想いを持ち続けて、志気を高めていくためには、私にはこのアナウンスセミナーが必要な場所でした。ここで、出会った先生、先輩、OBの方々、同期、後輩、すべての縁がこれからの私の人生の財産になってゆくと思います。「人と人のつながりの大切さ」それこそが、永井先生から教えていただいた一番大切なものだと思います。


藤原 梨香 【11期生】
 東京アナウンスセミナーに通ったことで、たくさんの「人生が変わる瞬間」に巡り会うことができました。

 私の本当の長所に気づかせてくださった先生、本当の短所を指摘し、何があっても支え続けると言ってくれた先輩、会う度に「綺麗になったね」と誉めてくれ、自信を持たせてくれた同期、内定したときに真っ先に連絡をくれた後輩。口癖だった「わたしなんて」が、いつの間にか「わたしなら大丈夫!」に変わりました。
 ずっとずっと孤独で不安で、報われなかったアナウンス受験。でも、アナセミに来ると、一人じゃないと思えるんです。そして、自分さえ良ければいい…そんな邪念がなくなって、「人のために話したい、伝えたい」そう思えるようになるんです。
 私は、沢山の支えがあったからこそ、今の局で、最高の仲間に出会い、最高の仕事をすることができています。アナウンス受験は辛いかもしれない、報われないかもしれない。でも、自分を信じて、仲間を信じて、アナセミを信じて努力し続ければ、「何があっても大丈夫!」そう胸を張って言える自分になれるんです。

 アナウンサーになりたい、でもどう頑張ればいいのかわからない…そんな人は、東京アナウンスセミナーを訪れてみてください。きっと、あなたの「人生が変わる瞬間」に出会えるはずです。



外城 美江 【社会人】
初めてアナセミを訪れたとき、私は27歳を目前にしていました。27歳で初めて向き合うことのできたアナウンサー受験。人見知りでアガリ症だった私は、自分に自信が持てず、まずは度胸をつけようと司会の仕事を選んだりしながら、過酷な受験からは逃げてばかりいました。そんな私が、28歳にして夢を実現できたのは、アナセミ、永井先生との出会いがすべてだったと思っています。私はアナセミを訪れる数日前からすでに、年齢なんて関係ない。アナセミなら、永井先生についていけば絶対に夢は叶うはず、と信じていました。というのも、この贈る言葉のページに書かれた先輩方の言葉が、アナセミのすばらしさを物語っていたからです。最初から最後まで涙が止まりませんでした。ここにある贈る言葉たちは、私の不安をすべて取り去り、受験に向かう多大な勇気をくださいました。ですから、このページを読んでくださっているみなさんにも、どうか永井先生を信じて、アナセミを信じて夢をあきらめないでいただきたいのです。アナセミの仲間はみんな家族。アナセミなら一緒にがんばる仲間がたくさんいます。そして一日も休まず、どんなときも命を懸けて全力で応援してくださる永井先生がいます。落ち込むことももちろんたくさんありました。でも、いつも手を握り「明るく心をもって一生懸命!がんばってください!」と受験に送りだしてくださる先生。泣きながら「ダメでした」と報告する私に、同じように心を痛めてくださり、「またがんばりましょう」と温かい手で握手してくださる先生。いつどんなときも「大丈夫です」と言ってくださる先生。書類が通ったとき、一次を通過したとき、ひとつ歳をとった誕生日、いつも一緒に喜んでくださる先生。いつしか、そんな先生に内定で応えたいと思うようになりました。28歳でも夢は叶う。叶った今も、遠く同じ空の下、先生やアナセミのみんなとつながっていると思うと、それだけで大きな勇気となります。そして何より、伝える仕事のすばらしさ、楽しさ、難しさ、喜び、いろんな思いを感じながら、夢から逃げないでよかったと思っています。アナセミに、永井先生に出会えたことに心から感謝します。



堀越 純子 【2期生】
去年、なりふり構わず大泣きしたことがありました。大学4年の11 月。アナウンサー試験を受け始めてちょうど1年が経っていました。アナウンサーになりたい、という気持ちと、でも結果が出せないもどかしさが毎日毎日私の頭の中をかき回していました。「このままアナウンサーを目指していていいのか?」いくら考えたって、答えは出ません。そんな時、両親から電話がかかってきました。「気分を変えて、そろそろ方向転換してみたらどう?試験に落ちるたび、あなたが辛い思いをするの見てるとかわいそうで仕方がないから・・・」両親が私を心配してくれているのはよくわかりました。でも、絶対的に私を応援してくれている味方だと思っていた両親にまで見放された気がして、どうしたらいいかわからなくなって涙が止まりませんでした。涙が止まらないまま、向かった先は永井先生のいる庄や。先生は号泣する私の手を強く握って、「大丈夫です。絶対なれます。アナウンサーになれる、なれないの問題じゃなくて堀越さんはなる人なんです。絶対いいアナウンサーになると思いますよ。大丈夫です。ご両親が反対なさるのなら、私が説得したっていいんです。私が絶対なんとかしてみせます。任せてください。責任とります。」と、何度も繰り返し言ってくださいました。先生は私をこんなに信じてくれているのに、私は自分で自分を信じきれていなかったんだな。自分をもっと信じよう。それからの私は本当に自信を持って試験に臨むことができ、その2ヵ月後にアナウンサーへの道を手に入れることができました。今、先生のあのときの言葉があるから私は安心して仕事をすることができています。



堀野 麻由 【9期生】
約1年半の間で120局の受験を経て、私はようやく念願の話し手になることができました。その受験局数を言うと大抵「よくそこまで諦めなかったね~」なんて言われますが、私が何度落ちても諦めず、いま話し手として歩みだすことができているのは、永井先生とアナセミとの出会い、そして永井先生の言葉『念ずれば花開く』という言葉を信じていたからです。 小学生の頃からアナウンサーを目指していた私は、大学2年生の頃スクール探しをしていました。そんな時、知り合いのアナウンサーから薦められたスクールがちょうど私が1番気になっていた東京アナウンスセミナーだったことから幸運にも私はアナセミと最初に出会うことができました。アナセミの雰囲気はいつも緊張感が漂っていて、その頃の私は先輩方のアナ受験に対する姿勢だけでなく気配りや心遣いにただただ圧倒されてばかりでした。そのせいか永井先生から「そろそろカウンセリングにもいらっしゃってください」と言われても、行くことができませんでした。そんな私に永井先生は本気で叱ってくださいました。こんなに自分のために真剣に叱って下さる人に対して、今まで自分は何て中途半端なことをしていたんだと反省し、永井先生についていこうと心を決めました。それからはできるだけ毎日アナセミに通いました。受験がはじまり、まず書類通過の壁にぶつかりました。当時、精神面が弱かった私はその時点で「もう自分は向いてない、こんなにアナ受験に時間を費やしてきたのに全然努力が報われない」と嘆いてばかりでした。時にはもうどうしたら良いかわからず、アナセミや庄やさんで泣き出してしまうことも多々ありました。そんなとき永井先生はいつも「大丈夫です!堀野さんは絶対アナウンサーになれます!」と声をかけて下さったり、先生が作った心のこもった詞をプレゼントして下さいました。永井先生の言葉は魔法のように私をいつも救ってくださいました。それから約半年後、やっと最終試験に残るところまでくることができました。しかしなかなか私はご縁のある局と出会うことができませんでした。焦りと不安でいっぱいの毎日でした。そして、私は永井先生が生きていらっしゃる時に内定することができませんでした。誰よりも早く内定を報告したかった永井先生がいなくなったことは、とてもショックが大きく悔しい気持ちでいっぱいでした。しかし最後に永井先生にお会いした時も先生はご自分の体調が悪いにもかかわらず、「堀野さんの内定お祝いの時はまたウチでワイン会をしましょう。その時は私もワインのボトル3分の2ぐらいは飲みます。」とおっしゃって下さいました。それからはどんなに辛くてもその時の先生の笑顔と言葉を思い出し、先生のようにどんな時も人を気遣える人、心ある話し手に絶対になりたい!と気持ちを強く持ちました。もちろん永井先生だけではなく、本間さんや安達さんをはじめ、アナセミの先生方、9期の仲間、先輩、後輩にもたくさんたくさん支えていただきました。本当にアナセミファミリーのおかげで私でもなんとか最後までアナ受験を続けることができました。感謝の気持ちでいっぱいです。アナ受験は努力したからと言って内定が出るわけでもありません。運とご縁も必要です。しかし、諦めなければ絶対になれます!長くなってしまいましたが最後に、アナセミファミリーの皆さん、これからもどうぞよろしくお願い致します。


本田 朋子 【6期生】
「明るく、心をもって、一生懸命」。この言葉が、何度私の背中を押してくれたでしょう。初めて永井先生にお会いしてから、内定を頂くまでに、何度も何度も永井先生が贈って下さった言葉です。この言葉は私にとって、何よりも大事な必需品となりました。というのも、カメラテストや面接の前に、緊張をほぐすため、アロマオイルを染み込ませたハンカチを握り締め、心の中で「明るく、心をもって、一生懸命。頑張るぞ!!」とおまじないのように唱えるようにしていました。そうすると、なんだか心がスッとし、自然な表情で本番を迎えることができたのです。きっと、言葉の意味以上に“永井先生"という大きな存在が、私を私のままでいさせてくれたのだと確信しています。また、アナウンスセミナーでは、「生徒同士も敬語を使う」というルールがあります。初めは、慣れない言葉遣いに戸惑ったりしたのですが、今では自然に出てくるようになりました。やはり、面接などの際に、きちんとした敬語が使えなければ、恥ずかしいですし、印象も良くはありません。アナセミはそういうアナウンス技術以外のことも学ぶことができます。そして、何よりも「人を思いやる気持ち。“心"で話すこと」が一番大事なんだということを学びました。テキストには載ってないけれど、アナウンサーを目指す人に必要不可欠なことを、永井先生をはじめとするアナセミの皆さんが教えてくれました。本当にありがとうございました。そしてこれからも、宜しくお願いいたします!!


マ行
前田 隆矩 【6期生】
大学を卒業した年の夏、私は運命的出会いをしました。永井先生との出会いです。学生時代から夢見ていた「アナウンサー」と言う職業。どうしてもその夢を諦めきれなかった私は、卒業後も既卒で受験していました。アルバイトで生計をたて、試験で全国へ向かう日々。試験に落ちる度、私の心の「不安」が増えていきました。そんな時、インターネットでアナセミの存在を知りました。すると、贈る言葉には先輩方の受験2年目の内定などが書かれており、どの方も永井先生への感謝の言葉が記されていました。それを見て、私も「永井先生に会ってみたい」と思い、アナセミへ足を運びました。そして永井先生とお会いして、アナセミの内定率の高さを実感しました。カウンセリングでの生徒の情熱的姿勢に対して、永井先生の的確なアドバイス。正直、圧倒されました。しかし、ここで頑張れば私も夢へ近づけるはずだと思い、アナセミへ入りました。アナセミでカウンセリングを受け、自己紹介を少しずつ増やし、面接対策もする。空き教室では発声練習をし、夜は庄やさんで永井先生にエントリーシートを添削していただいたり、アナウンサーの先輩や共に学ぶ仲間たちと様々な話をする。本当に充実した日々でした。試験前日カンセリングで面接対策をし、永井先生からOK を頂いたことで自信がつき、「明るく、心をもって、一生懸命」と言う言葉で送り出して頂いたことにより、私の心の「不安」は自信に裏づけされた「安心」で満ちていました。試験直前には共に学ぶ仲間たちからメールをもらい、ここで決めるぞと一層強い意志で試験に臨むことができました。その後内定を頂き、内定お祝いで食べたオムレツの味は忘れません。永井先生に出会っていなければ、今の私やこれからの私は絶対に存在していません。夢を実現できたことに本当に感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました、そしてこれからもよろしくお願い申し上げます。今後試験を受けられる方、永井先生を信じ、諦めずにただ前を向いてください。そうすれば必ず夢は叶いますよ。



松尾 英里子 【6期生】
アナセミで過ごした時間は、自分と向き合う時間だったように思います。自分が何を好きで、何を考え、何に価値を感じ、そして何をしたいのか。永井先生がしてくださるカウンセリングの中で私は、知っているようで意外と知らない自分というものを垣間見た気がしています。その日その日で少しずつ違う私の姿を的確に捉えた上で、先生が下さるアドバイスは、就職活動だけでなく、これから社会に出て自立してゆこうという時期の私にとっても、とても意味のあるものでした。共に悩み、時には朝まで語りあった友人たち、親身になってアドバイスしてくださる先輩方、そしていつでも温かく導いてくださる永井先生との出会いは、これからもずっと宝物です。



松尾 翠 【6期生】
永井先生、そして東京アナウンスセミナーに出会えたことは私の運命を変えました。本試験の前に各局が主催するアナウンスセミナーにことごとく落ち、どうしようもなく焦り煮詰まっていた時に出会ったのが永井先生でした。先生のご指導を受けるまで、私は自分を人に分かってもらえるように表現することもままならない状態でした。先生がまず教えてくださったことは、「自分について、ノート一冊以上書く」という事。自分って何だろう……。この旅は、今でも続いています。今までの道を見つめ、先に繋げ、言葉にする。これはとても難しいです。しかしこの作業の中で、今まで歩んできた道の至る所に、多くの方々の優しさや支えがキラキラと輝いている事に気づけました。先生から最初にいただいたプレゼントは、そんな当たり前で見落としてしまいがち、でもすごくすごく大切な事に気づかせていただいたことです。敬語がきちんと使えず、ぴしっと叱ってくださったのも先生でした。その場で大泣きしてしまった私を、先生やアナセミファミリーのお兄さんお姉さんは優しく見守ってくださいました。先生は、言葉だけではなく自らの姿勢で私達を導いてくださいます。試験で緊張しているときも私を和ませてくれたのは、先生がメールで送って下さる街の片隅に咲いている小さな、けれどとても美しいお花の画像でした。そして、「明るく、心を持って、一生懸命」の言葉。周りの草花や空、素晴らしい自然にすら目が向かなくなってしまうほどいっぱいいっぱいになってしまうときもありましたが、「あっ、これはアナウンサーを目指す姿として違う」と立ち返らせてくださいました。今、人生第二章のスタートラインにたつことができたのは、永井先生率いるアナセミファミリーのおかげです。先生、これからも人生の先生でいてください。暖かい先生とアナセミが大好きです。これから試験を受ける皆様、先生を信じてまっすぐに歩めば、必ず道がひらけますよ!



水島 絵理 【7期生】
私は永井先生そして多くの先輩方や同期の方、後輩の方に出会えて本当に幸せです。決して1人ではアナウンス受験を続ける事ができなかったと思います。永井先生をはじめ大勢の方に支えて頂いたお陰で、決して諦めることなく、最後まで粘り続ける事ができました。思うようにいかずしょんぼりとした日も、アナセミのドアを開けると、全てを包んで下さる優しい笑顔の永井先生がいらっしゃって「大丈夫です。頑張りましょう」と何度も何度も強く手を握ってくださいました。また、行き詰っていたときは、愛情ある厳しいご指摘を下さる先輩や同期の方に何度も勇気を与えて頂きました。そのように、いつどんなときでもともに頑張ることのできる方たちに囲まれていたから今の私があると日々感じています。永井先生は、人としての生き方を、自ら示しときに厳しく教えてくださいます。「人は一人では生きられない。二人からならできる事がある」何度も先生がおっしゃって下さったお言葉です。私は,アナウンス受験を通して、人と人との繋がりが持つ温かさや強さを学ぶ事ができました。私の人生を豊かなものに大きく変えてくださった永井先生に出会えた奇跡、そして、それを導いてくださった方との出会いや今までのすべての経験に心から感謝しています。永井先生は、いつもアナウンスセミナーの仲間を「家族」とおっしゃっています。もしアナウンサーを目指されている方がいらっしゃいましたら、愛情いっぱいのアナセミファミリーとして一緒に頑張る事ができたら嬉しいです。永井先生いつもありがとうございます。そして、これからもご指導のほどよろしくお願い致します。

 
道岡 桃子 【社会人】
 私がアナセミに通ったのは1ヵ月だけでしたが、何年も通ったような気がしています。
 私が初めて授業に参加したとき「あなたは何にも間違っていないよ。絶対に上手くいくからね。」と先生が優しく励ましてくださいました。不安で不安で仕方なかった私。まるで心の中を見透かされている様で、涙が出そうになりました。
どんなに辛い時もその先生の言葉に救われました。他の受講生の皆さんも笑顔で話しかけて下さり「ああ、これがアナセミファミリーなのだ!」と感じました。年齢を問わず、大学3年生も、4年生も社会人も同じように頑張れる場所がアナセミだと思います。アナセミに行けば、先生が励まして下さる。優しい仲間も沢山いる。本当にアットホームで、もっと通いたかったな、というのが本音です(笑)
 アナウンサーとして働いている今でも、アナセミの授業はとても実践的だったな、と思います。レッスンの時は、いつもビデオカメラが設置されているので、カメラテストを意識した練習が出来ました。この練習は一人ではなかなか出来ないと思います。
 壮行会でも「こんなに親切にしてもらっていいのだろうか?」と思うくらい盛大に内定のお祝いをして頂きました。
 私にとって心が休まる場所、それがアナセミです。先生方、受講生の皆さん、本当にありがとうございました!



宮崎 宣子 【2期生】
あれは、もう何年前なんでしょうか…?泣きながら永井先生に電話したのが、初めての出会いでした。まだ先生と一度もお会いしていないのに…。それほど切羽詰まっていました。学生時、何とかアナウンサーになりたいと、日々摸索し挑戦していました。その時、色んなことに挑戦しすぎて、このままではアナウンサーになれなくなってしまうのではないかと不安になり、涙が出てきて、先生に初対面ながら電話をしました。その時、自分がこれほどアナウンサーになりたかったのかと実感したのです。電話先で「大丈夫ですよ。大丈夫ですよ」とおっしゃってくれたことを今でも忘れません。あの時の安堵感といったら、何か自分の中で、やり直せる、もう一度チャンスをもらった、そんな気持ちで嬉しくて嬉しくて仕方ありませんでした。そのおかげで先生の学校に通うようになっても、人一倍真剣に取り組むことができました。私は実際、宮崎生まれで、顔も垢抜けてはいません。アクセントもボロボロ、本当にこんなんでアナウンサーになれるのか、毎日不安になりながらも、後悔だけはしたくない、前に進むしかないと後ろを見ることはしませんでした。この「東京アナウンスセミナー」というところは不思議なところで、皆が先生を好きになることに時間はかからず、そして通う生徒一人一人が、家族のような兄弟のような感覚になり、皆で頑張ろうという気持ちにさせてくれるのです。もちろん就職活動は一人の仕事かもしれません。同情なんて存在しないと思うかもしれません。しかし、私が内定したときは、真っ先に先生に連絡しました。そこには私の結果を待ってくれる仲間がいっぱいいて、もう夜も遅いのに、一人一人電話を変わってくれて皆から祝福の言葉をいただきました。次の日には皆でお祝いをしてくれて私ために涙を流してくれた友人もいました。私の内定は私一人だけのものではなくここのセミナーに通って、先生や仲間によって得たものです。私一人で、悩んで就職活動をしていたら絶対に落ち込んで、引きずって終わっていました。やはり就職活動は一人では辛いです。特に私みたいなすぐに落ち込むタイプは決して一人では乗り切れない過酷なものだと思います。もしも、本当にアナウンサーになりたくて、もしも本当に悩んでいたり、個人的な就職の悩みをお持ちの方は、一度、ここの名物先生、永井先生に会ってみてください。先生は、皆のためだけに生きていて、体を壊しそうになるほど、自分より生徒のために愛情を注ぐ方です。先生のもとから沢山のアナウンサーが生まれてゆくのは、先生の心遣いで心身ともに受け入れてくれるからだと思います。もちろん、ここにはアナウンサーになるために必要な資料、情報は完璧に揃っています。しかし、それだけではどこのアナウンス学校でも同じ事です。ここの違うところは先生が生徒と心が通じ合っている、生徒が全員先生を尊敬し信用しているところではないでしょうか?今時、会うたびに先生と握手し、別れるたびに一人一人握手して声をかけてくれるような先生がいらっしゃるでしょうか?実際、就職活動中も合否の連絡を待つときに、皆学校に来て一緒に待っていました。そして駄目なときは一緒に励ましてくれて、次へのエールをくれる。通過したら本当に喜んでくれて、次の対策を一緒に取り組んでくれる。過去の情報はすべて揃っていますので、少しは心構えもできますし、何といっても先生がついていてくれるという、気持ちが常にありますから、一人で孤独にやっている就職活動とは大違いです。今、私は放送局で働いている喜びを感じます。もちろん日々失敗しては落ち込み、涙することもありますが、いつでも先生に相談できる、会いに行くと励ましてくれる。そして、また頑張ろうという気持ちになれる、そう思うだけで、全然違うのです。私は永井先生なしで今の私はなく、東京アナウンスセミナーの仲間なしに、本当の友達、戦友、心から思いやれる友人はいません。ここで知合った仲間は、全国でアナウンサーとして働いていますが、いつ会ってもすぐに打ち解けられる深い絆で繋がっています。これも全部、永井先生のおかげです。この場を借りて、心から先生に敬意を表します。先生、ありがとうございました。そして、これからも皆の、元気な先生でいてください。私の恩師は、先生だけです。



宮本 裕子 【1期生】
人には「ターニングポイント」なるものが必ずあります。私は永井先生との出逢いが「ターニングポイント」そのものでした。 それまで「なんとなく」アナウンス学校に通って、このまま「なんとなく」受かればいいな、なんて甘い考えでした。地方局も受けるかどうか迷っている状態。でも、先生と出会ってからはどこに行っても絶対にアナウンサーになりたい。その思いばかりで毎日のように先生に見て頂きました。それだけ魅力ある職業ということ、先生のように一人一人に全力全力投球して下さる姿、同じ夢を持つ、今ではかけがいのない仲間。たくさんの事をアナウンスセミナー、略して「アナセミ」で吸収し、私の宝になりました。 「愛されるより、人を愛することのできるアナウンサーに」 「明るく心をもって一生懸命」 いつも温かい手でがっちりと握手をして試験に送りだして下さったこと、まだ覚えています。 永井先生のぬくもりに包まれたアナセミでの時間が、今山梨という土地でアナウンサーという仕事を楽しんでやらせてもらっている、土台を築いてくれました。 これから受験しようと思っている皆さん、あなたの1つのターニングポイントを、このアナセミで是非経験してください。きっとあなたのこれからの未来が、明るく彩られること間違いなしです。



三好 正人 【1期生】
アナウンスセミナー、そして永井先生と出会えたから今の自分がいるんだな~・・・・・・。アナウンサーになって今年で3 年目。今でもふとした時にそう思います。地方出身の私は訛りがひどく、アナウンサーになろうと言った時ほとんどの人にびっくりされました。しかも志望したのは就職活動が本格的始まる大学3 年の12 月。何も分からないままで民放キー局に落ちていく日々が続きました。しかし永井先生は夜遅くまでマンツーマンで指導してくれました。「かざらず誠意を持って一生懸命伝える」ということをじっくり丁寧に教えて下さいました。そしてここでは、一緒に悩んだり喜び合える仲間達も出来ました。とかく難関だといわれるアナウンサー受験。確かにみんな何年もアナウンス学校に通って技術を付けて試験に臨んできます。誰でも不安です。その中で一緒に頑張れる仲間と先生に出会えたことは私にとって本当に幸運でした。そんな場を提供してくださった先生には感謝でいっぱいです。アナウンスセミナーから巣立っていったことに誇りを持ちつつこれからも頑張っていきます。



武藤 祐子 【2期生】
「明るく、心をもって、一生懸命」。アナウンスセミナー(以下、アナセミ)に通っていた頃、永井先生はいつも帰り際に必ずこの言葉をかけてくださいました。そして、アナウンサーとして仕事を始めてもうすぐ1年、という頃、ふたたびこの言葉に救われた、あるできごとがあったのです。初めてスポーツ中継番組に携わることになっていた私は、不安と緊張と慣れない取材などで、文字通り眠れない日々を送っていました。そして、本番を目前に控えたある日、先生にも中継を見てもらえたら、と思い、久しぶりに電話をかけました。すると、電話の最後に先生が一言、「武藤さんなら大丈夫ですよ」と励ましてくださった後、「明るく、心をもって、一生懸命やってください」と・・・。その言葉を聞いて私は、「うまくやらなきゃ、きちんとやらなきゃ」ということしか考えていなかった自分に気付かされました。そしてそんな私には、「明るさ」も「心」もなくなっていたということに。思えば、アナウンサー受験の時、面接で「何か面白いことを言おう、奇抜なエピソードを話そう」としていた時は、ことごとく落ちていました。でも、アナセミに通い始めて、段々とそういう格好つけた自分から、飾らない普段通りの自分を面接でも出せるようになりました。アナセミは、話し方や話す内容はもちろんですが、それ以前に「今の自分らしさ」を探す姿勢を身に付ける場だったと、私は思います。そしてその姿勢は、仕事を始めても、変わらず大切なんだということを、先生の電話での一言はおしえてくれました。「明るく、心をもって、一生懸命」。この言葉は、生涯、私の座右の銘です。
 

茂木 亮子 【2期生】
永井先生にまず教えて頂いたことは、情報を読むのではなく「心をこめて伝えること」でした。度重なるアナウンス受験では、カメラの前でも面接試験官の前でも「この放送局に入りたい!」という熱意をもって挑みました。今、宮崎の放送局でアナウンサーとして仕事に励んでいますが、永井先生が教えて下さったこと、アナウンス受験で培った「熱意」と「諦めない気持ち」そしてアナセミで知り合った、大切な仲間は私にとっての原動力です。心あるアナウンサー目指して今、躍進中です!



森 春菜 【6期生】
「アナウンサーになるんだ!」という思いだけで、ひたすら試験を受け続け、気づけば4年生の10 月になっていました。大学の後期が始まり、周囲の友達が皆、内定を持っているとき、初めて、アナウンサーになれないかもしれないという不安に襲われました。今までなら、希望を持って臨んで挑んでいた試験なのに、「今度もまた落ちに行くのだ」としか考えられなくなりました。せっかく貴重なチャンスなのに、落ちることが恐くて、試験前夜に「行きたくない」と泣いたこともあったのです。 こんな私でも、内定を頂けたのは、東京アナウンスセミナー(以下アナセミ)に通い、永井先生に出会えたからなのです。試験に落ちて帰ってきたときも、なかなかアナセミに行けず1ヶ月振りにアナセミに行ったときも、永井先生はいつも同じ笑顔で温かく迎えてくれました。こんな自分でも先生はアナウンサーになれると信じて下さるのです。そんな永井先生の存在にどれだけ救われたかわかりません。 また、アナセミには同じように悩み、落ち込み、それでも懸命に前向きに頑張ろうとする仲間がいます。一緒に試験を受け、同じ悩みを語り合った仲間が内定すると、「ちゃんと頑張りは報われるのだ」と信じることができました。それが、次の試験を頑張る原動力にもなりました。永井先生に支えられ、アナセミの仲間に励まされ、もう一度「アナウンサーになりたい」と強い意志を持つことができました。そして、その思いを持ち続けられたからこそ、アナウンサーになるという夢が叶ったのです。 もし、「アナウンサーになれないかもしれない」と思ってこれを読んでいる人がいたら、是非アナセミを来てみてください。永井先生に会い、同じ夢を持つ仲間に出会えれば、きっと「アナウンサーになれる」と希望を持てるはずです。



森坂 悠紀 【社会人】
今、私が書いているのは、放送局に内定した人が書く、アナウンスセミナー(以下アナセミ)への『贈る言葉』。自分がこの文章を書けるようになることを、どんなに願ったことか。アナセミに通おうと決めたのも、この『贈る言葉』がきっかけでした。社会人になって半年が経ち、なんとなく過ぎていく日々に疲れて、このままでいいのかなと不安を感じていました。そんな時に見つけたのは、アナセミのホームページ。そこに書かれた、たくさんの卒業生の『贈る言葉』。「明日、ここに行こう」。そう感じて、すぐに永井先生に電話をしました。社会人になるギリギリまで受験していたアナウンサー職を、半年経ってもう一度目指そうと思えたのは、ここに書かれているアナセミの卒業生の言葉に背中を押してもらえたからでした。 それから約4ヶ月間、週末を利用して静岡から新幹線を使って中目黒に通いました。平日の仕事との両立でしたが、不思議と苦痛だと思うことはありませんでした。どんな時でも誰に対しても、「がんばりましょー」と励ましてくれる優しい永井先生、そして、同じ目的を持って必死にカウンセリングを受けるアナセミのみんながいたから、厳しいアナ受験も受け続けることができました。一番印象に残っているのは、年末年始にかけて、地方の放送局受験に立て続けに落ちた時のこと。落ち込む私に、永井先生は、「今カメラテストを通過している人たちは、何年もここに通い、頑張っている人たちなんです。もっともっと努力してください」と教えてくれました。あの時感じた、“自分を恥ずかしいと思う気持ち"“もっと努力しなきゃだめだという気持ち"は、今でも忘れられません。 アナセミで得たのは、“心ある話し手"になるための心得。そして、永井先生を囲む素敵な人々のつながりです。 これからアナウンサーを目指す方々に対しても、アナセミはきっと特別な場所になっていくはずです。永井先生と、仲間と、自分を信じて頑張ってください!


ヤ行
矢田 雄二郎 【2期生】
寒い季節がやってまいりました。寒い中の自転車の運転など、お体のほうは大丈夫ですか?2002 年10 月30 日、読売ジャイアンツ日本一の日に約9 割の内定、2002 年11 月7 日に放送局から正式に内定通知を頂いて1週間が経ちました。ようやく気持ちが落ち着き始めたので、改めて感謝の気持ちを込め、父でもあり先生でもある永井先生にお手紙を書こうと思いました。永井先生とお会いして約2年、こうしてお手紙することは初めてかもしれません。少し照れくさいのですが、どうしても書きたくなり筆を取らせて頂きました。お忙しいかと思いますが、目を通して頂ければ幸いです。僕は放送部や研究会に在籍したこともない人間で、アナウンスについて全く無知でした。むしろマスコミに関し何も知らない状態・「ただしゃべる仕事がしたい」という状態で恐る恐る成人式用のスーツを着込み、東京アナウンスセミナーに行きました。アナウンスの学校というのはどんな所なのだろうか、凄まじい不安で何度も駅のトイレでネクタイをしめなおしたことを今でも覚えています。それから約2年が経ちました。思えば永井先生はいつもいつもいつもいつも僕の味方でいてくれました。(もちろん全生徒にですが)何度も最終試験に落ちた僕、見えない未来に対して落ち込み、ふぬけてなんかげつもアナウンスセミナーにこなかった僕、あらゆる矢田雄二郎を応援して下さいました。募集が出たときには、自分で探さなくてはならないのに必ず電話を下さいました。倉敷さんがアナウンスセミナーにいらしていた時にも連絡を下さり、ふぬけていた僕に、自らの言葉ではなく時には陰になり、「あきらめるな」と僕に伝えて下さいました。そしてこの夏にも実況のチャンスを与えてくださいました。永井先生は、実は僕よりも僕がアナウンサーになることをあきらめていませんでした。本当に本当にありがとうございました。正直に言いますと、ありがとう、という一言では、気持ちを確実に言い表せません。こういう気持ちの時に何と文章にすればよいか、文才のない僕にはわからないのです。ですから一言で終わらせてしまうつもりはありません。僕は「永井先生が生んだ名アナウンサー」,「永井先生の生んだ熱い魂を持った人間」、「永井先生だからこそ生むことができた人間」に必ずなります。そして先生は庄やで童話に関して「自分の生きた証が欲しいですね。」とおっしゃっていましたが、僕やみんなが必ず先生の生きた証になれるよう頑張ります。何年かかるかはわかりませんが、自分なりの恩返しを必ずさせて頂きます。男に二言はありません。永井先生から教わったこと、数多くあります。技術だけではない大切なこと、人と人とのつながり・・・東京にいる残りの月日に、そのことをアナウンスセミナーの後輩や仲間を含め多くの人に伝えられればと思います。(しかし僕は目も細いですし、原稿読みもひどいです。ですから伝えて欲しいと思う人間もないと思いますが)特にアナウンスセミナーの後輩には自分が2年間執念でやっただけに、「長い冬を過ごしても春は必ずくる」ことだったり、アナウンサーになるのを「あきらめる事をあきらめる」ことだったりがみんなに伝わればいいなと思います。長々と書かせて頂きましたが、これらが今僕の思う気持ちです。東京にいる残り数ヶ月、「もう庄やで先生やみんなと1年に何度もお酒が飲めないのか・・・」と寂しくもなりますが,必死にこれからまたアナウンスセミナーで放送人、そして人間としての修行をさせて頂きます。(今は卒論に必死です!)冬がやってまいりました。寒い中の自転車など、お体大変でしょうが、くれぐれもご自愛下さい。本当に2年間ありがとうございました。永井先生、先生のおかげで矢田雄二郎は今、最高に幸せです。 "熱く,いや、熱くるしく"



矢部 順子 【3期生】
私が今、こうしてアナウンサーという魅力的な仕事をしているのは、永井先生のおかげです。私は就職活動を本格的に始めたのが遅く、大学院に進学してからでした。院に入学してすぐ、5 月ごろいったん通ったものの、授業などが忙しく、アナウンスセミナーから足が遠のいてしまっていました。そしてあっという間に3 ヶ月が経ち、季節はもう秋に。「お元気ですか?」そんなある日、永井先生からお電話がありました。なんで先生は私なんかのことを覚えていてくれたんだろうと胸がいっぱいになりました。そのときから私は永井先生についていこうと決めました。アナウンス受験が始まっても、全然決まらずに落ち込んでいたころ、今の会社の募集がありました。新卒採用で受けていた私は、今回の既卒採用の募集に応募しないつもりでした。でも、先生に「矢部さんは大学は卒業しているわけですから、受けた方がいいですよ」と勧められ、内定を頂くことができました。院は辞めてしまいましたが、先生のひとことで私は目指していた道を開けました。本当に言葉では言い表せません。ありがとうございます。



矢内 環 【3期生】
永井先生、先生と初めてお会いしたのは, 大学三年生の一月のことでした。 その頃の私は在京キー局に三社連続で書類落ちし、もう「どうしていいかわからない」状況でした。困り果てた私はTBSで働く大学の先輩に電話をかけました。先輩といっても就職課を通して紹介していただいた方で全く面識のない相手。緊張のあまり電話を持つ手も声も震えたのを今でも覚えています。 しかし驚いたことに先輩は「どうぞ会いに来て下さい。会って話せば気持ちも楽になるでしょう」そう言ってくれました。ビックハット(TBS)で緊張した面持ちの私を優しい笑顔で出迎えてくれたのその人は、永井先生の教え子でした。「あの先輩が信頼している先生だったら信じられる」そう思ってアナウンスセミナーの門を叩いた一月。電話に出た先生は「どうぞ、いつでもいらして下さい」と先輩と同じ言葉をかけて下さいました。 アナセミに入ってから二週間が過ぎたある日、私は先生に質問をしました。「(TBSで会った)先輩は目がキラキラしていてオーラがあって、自分と同じ人間とは思えませんでした。やっぱりアナウンサーになる人は、最初から違うんでしょうか」と。 先生はいつもと同じ落ち着いた声と、少し鋭い目をこちらに向けておっしゃいました。「アナウンサーはアナウンサーという職業に生まれてくる訳ではありません。アナウンサーというのは数多くある職業の中の一つであって。あの方(先輩のこと)のにはスイッチがついていて『よし、キラキラさせるぞ』とスイッチを押して目を輝かせている訳ではないでしょう。あの方だって努力されてキャスターとして働いてらっしゃるんです。アナウンサーになるのに必要なのは前向きです」先生は沢山の生徒をかかえてお忙しいのにもかかわらず、真剣に私の悩みを受けとめ、ユーモアを交えながら答えて下さいました。あの日のこと、絶対に忘れません。 先生の一言で気持ちを切り換え、それからというもの私の元には、キー局、準キー、名古屋の局から書類審査通過を知らせる手紙が次々に届くようになり、四月のNHKの試験ではカメラテストに残るまでになりました。受けても受けても内定という出口の見えないアナ受験は楽しいことばかりでなく、髪の毛がごっそり抜けてしまう程、精神的にまいってしまったこともありましたが、永井先生のもとに集まるアナセミのたちの姿や言葉に励まされ(いえ、助けられ)今,私はテレビ局のアナウンサーとして働いています。



矢野 美沙 【10期生】
永井先生。

私は今、アナウンサーとして働いています。あのときよりは、泣く回数も減りました。少しは成長できているでしょうか。今でも遠くから、アナセミを見守ってくださっていますか。

私はアナセミと出会っていなかったら今頃どんな毎日を送っていたのか、全く想像もつきません。ただひとつわかるのは、アナセミに通っていなければ私はアナウンサーになっていなかった、ということ。自分を変えるチャンスを頂きました。小生意気で謙虚さのかけらもなかった私に、愛を持って叱って下さった先生。悔しくて情けなくて、先生から指導して頂くたびに泣いてしまう弱い私に、「矢野さんは本当によく泣きますね~」と困ったように笑いながら、そして「いつか人のために泣けるアナウンサーになってください」と優しい目で励ましてくださいました。

アナセミの皆さんは本当に大切な家族です。先生方、本間さん、安達さん、OB・OGの皆さん、後輩。朝まで悩みを聞いてくれて、時には「ここがダメだと思う!」と渇を入れてくれた同期。そしてアナウンサーの仕事に就くことができた今、遠く離れていてもお互い励まし合える仲間。本当に多くの方に支えて頂きました。受験当時、何度逃げようと思ったかわかりません。大学4年の秋を過ぎても内定が出ず、ただただ怖くて、焦って、一生懸命笑顔をつくって、不安定な気持ちのまま試験を受けていました。どうしてその瞬間、試験を受けられるということ自体に感謝し、全力を尽くせなかったのか。今では悔しく思い出されますが、当時は、今度だめだったらもう辞めようと毎回試験帰りに落ち込む日々でした。最後まで諦めずに受け続けられたのは、周りの方々の励ましがあったからこそです。

もう少し、あと少し頑張ってみよう。そうやって全国の局を受け続けていくうちに、だんだんと、色んな土地での出会いにも感謝できるようになりました。回り道したからこそ見えた景色があり、出会えた人たちがいました。私のアナ受験は走り出すのが遅くて長かったけれど、でも、あの経験がなければ今の自分はないと思います。誇れる経験です。

今、アナウンサーとして走り始めたばかり。仕事をすればするほど「伝える」ということが怖くなり、その責任の重さに倒れそうになります。けれどそんなとき、ふと永井先生やアナセミの皆さんを思うと、「明るく心を持って一生懸命!」と励まされる気がします。 アナウンサーとして、放送人として、社会人として本当にまだまだ未熟ですが、これからもっと勉強し、アナセミ卒業生として恥ずかしくない喋り手でありたいと思います。 

永井先生に、アナセミに出会えたことに心から感謝しています。 



山下 峻正 【社会人】
アナウンサーになりたい!そう思ったのは今から、2年半前、24歳の時でした。

すでに社会人で正直、夢で終わるなと思いながら東京アナウンスセミナーの門を叩きました。これが私の人生を大きく変えるのです。

アナセミでは数多くの社会人がアナウンサーになって活躍していました。アナウンサーになれるかもしれないという希望を胸に持ち、私のアナウンサー受験がスタートしました。

私は原稿読みが下手です。しかも癖があり、なかなか癖が直らず、何度も諦めようとしましたが、ここで諦めたら、死ぬ時に絶対後悔すると思い、毎日、少しずつ原稿読みの練習をしました。

先生方も少しずつだけど成長していると励ましてくださり、諦めず頑張り続けることができました。そして、いつの間にか自分でも気づかないうちに癖が直っていたのです。この場所は努力していれば絶対に報われる場所だと確信でき、そこから、フリートークも自信を持って話せるようになっていきました。

最後の実践コースの授業で、原元先生の「その声なら合格できる」の一言に勇気をもらい、内定を頂くことができました。アナセミには本当に感謝しています。 

山地先生、原元先生、江橋先生、本間さん、安達さん、本当に有難うございます。 
これからアナセミ生として、自信を持ってアナウンサー生活を楽しんできます! 



山田 修作 【2期生】
自分は将来何になるんだろう?本気でそのことを考えようとしないまま、何となく、理系だからということで大学院に進みました。小学生のときから、アナウンサーになりたいという夢はあったのですが、「あんなのは遠い世界」だと、勝手に決めつけていました。しかし、夢があるのに何も手をつけないまま諦めるなんて、絶対後悔すると思い、アナウンサーになると決意しました。しかし、アナウンサー受験なんて簡単にうまくいくもんじゃない。キー局の試験があっという間に終わり、本当にアナウンサーなんてなれるのだろうかと、途方に暮れていた大学院1年の2月、友達から、「アナセミに来ない?」と誘われ、門をたたきました。まず、入って驚いたのは、教室のコルクボードに貼ってある、たくさんの方達の写真。みんなその手には、ケチャップで「内定おめでとう」と書かれてある “オムレツ"が。みんなうれしそうな笑顔。「自分もこれらの写真の中の1人になりたい!」アナウンサーになりたい気持ちは強まりました。アナセミに通い始めて数日経ったとき、永井先生から、「山田さんは絶対アナウンサーになれます」と言われました。なんか催眠術にかけられた気分でした。永井先生がおっしゃってくださる一言一言、変にその言葉が自信となるんです。採用試験に落ちても、この局は自分に合わなかったんだと、常に前向きな考えが出来るようになり、先が真っ暗だったところに光がどんどん射してくるようになりました。そして、今勤めている局に内定できたのです。夢は諦めてはいけない、夢はかなうんです。でも1人では、絶対無理でした。一緒に夢に向かってがんばる仲間、そして暖かい言葉でもって支えてくださる永井先生がいたからこそ、今の自分があるんだと思っています。たくさんの笑顔に出会えるアナセミ、そして永井先生に大変感謝しています。永井先生、あまり無理をなさらずに、お体にお気をつけ下さい。



山田 舞 【2期生】
最終試験に落ちて、募集のある局も少なくなってきた6月。そんなとき、アナウンスセミナーに来ました。そこには、同じように苦しんで、それでもアナウンサーになりたい!!という仲間がたくさんいました。その日から毎日、永井先生のもとに通いました。毎回、同じところでつまずいて試験に失敗していましたが、理由など教えてもらえることもなく、同じ失敗を繰り返していた私でしたが、永井先生の指導を受けていく中で、自分の悪い癖、そして殻を破れなかった自分のPR も、少しずつですが変化していったのが自分でも分かりました。そして「自分」を持つことが出来たとき、面接では前を向き、一人一人の面接官の顔を見て、堂々とそして自分らしく、楽しく面接を受けることが出来るようにようになりました。永井先生の「大丈夫ですよ!!」この一声で自信を持ち、内定を頂くことが出来ました。アナウンス試験は、思った以上に辛いものです。一人では諦めたくなったり、辛くなったりもします。そんなとき一緒に頑張る仲間がいること、受かったときに自分のように喜んでくれる仲間が出来たこと、そして友達の頑張る姿を心から応援できること。仲間は何より大切です。そしてアナウンスセミナーには、そんな仲間がたくさんいます。



山本 隆弥 【8期生】
私が東京アナウンスセミナーを知ったのはキー局の無料アナウンスセミナーで知り合った友人がきっかけでした。セミナーが終わった後、友人に誘われアナウンスセミナーに足を運びました。初めて教室に入った時、アナセミ生のアナウンサーに対する意識の高さに圧倒され、この先の自分に不安を抱きました。そんな時、永井先生はお会いして初日にもかかわらず「これから一緒に頑張っていきましょう」とあたたかいお言葉を私に投げかけてくれました。永井先生のその言葉を信じて何も迷うことなくアナセミ入学を決めました。その言葉は本当のものでした。入学してから自己PR やフリートーク、エントリーシートを試験の直前まで丁寧にみてもらうことができ、授業の時間以外でも敬語など言葉遣いに対して指摘してくさだいました。永井先生の生徒を包み込むような優しさを含んだ厳しい指導を受けてきたからこそ今の磨かれた自分があると思います。キー局と準キー局の最終試験前日には、お守りの画像と相模鉄道の「ゆめが希望が切符」の画像付きメールをいただきました。最終試験落ちを経験した私にとって本当に感激してしまい、試験中は携帯電話の待受け画面に設定して自分を励ましていました。そしてついに2006 年12月19 日、小学校からの夢であったアナウンサーへの切符を手に入れた時、電話で最初に真っ先に報告したのが永井先生でした。それだけ私にとって永井先生は両親と同じ、ましてや両親以上の神様のような存在になっていたのです。キー局アナウンサー試験直前に入学したにもかかわらず、アナセミ生の一人としていつも温かく見守ってくれた永井先生に本当に感謝しています。さらに親切に接してくれたアナセミの先輩の方々、互いに意識を高めあい、励ましあってきた8 期生の同期にも感謝しています!どんなに月日が流れても初心の時のことを忘れず「明るく、心を持って、一生懸命」という永井先生の言葉を胸に頑張っていきます。これからもよろしくお願いします。



山本 悠美子 【6期生】
「人を愛せ。人のために生きられる人であれば内定と信じています!」これは、私が試験前日に路頭に迷っていたとき、永井先生が送ってくださった写メールのオムレツの言葉です。私が東京アナウンスセミナーで一番学んだことは「愛」です。メールを頂いたときはお恥ずかしいことに、正直あまり実感が持てませんでした。しかし、私に対して本当に「愛」を持って接してくださっているということだけは痛いほどに強く感じ、その心強さと優しさが、私を勇気づけてくれました。その言葉の意味は、日々、私の心に響いてきます。私に欠けていた「愛」というものを先生自らが示してくださったのだと感じています。先生はいつも、試験日前日に心温まるエールと花の写メールを送ってくださいました。私は部活の大会などが続いていた時期で、アナウンスセミナーにもなかなか顔を出せずにいました。にもかかわらず、永井先生は私に本当の家族のような愛で常に接してくださり、いつも心強いお言葉で私を支えてくださいました。本当にありがとうございました。そして、これからもどうぞよろしくお願いいたします。いまの私は永井先生をはじめ、アナウンスセミナーの先輩、後輩、そして同期との出会いがなければ存在しないと確信しています。



横田 光幸 【3期生】
どうしてもなりたかったアナウンサー。大学を留年したものの、本命にしていた局に落ちどうしたらいいのか分からなかった時でした。しかしアナウンスセミナーにそして永井先生に出会い、本当に納得できるまで勉強できる、先生についていこう、そう決め愛知に住んでいる私は中目黒のアパートに引っ越しました。アナウンスセミナーまで徒歩10 分、4畳半風呂なしトイレ共同のアパート。風呂は100円で3分のお湯が出るコインシャワー、テレビと冷蔵庫と扇風機しかない部屋から毎日足を運び、カウンセリングを受け庄やに通いました。納得いくまで発声練習をし、先生の指導を受け、仲間と悩みを打ち明けあう毎日。本当に充実した日々でした。その生活が始まって一ヶ月後、内定を頂きました。前を向いて頑張りつづけたことができたことそれが私にとって一番必要だったとなのかもしれません。最終面接の前日、試験地から先生に電話をすると「大丈夫ですよ。いまからみんなに代わりますね」とみんなからの応援をもらいました。今まで試験を受けていてこんなに心強かったことはありませんでした。先生がそしてアナセミの仲間がまさに家族です。内定祝いのオムレツの味は、鼻が詰まって味もわからなかったはずですが、本当に本当においしかったです。あの日のオムレツの味と、先生への感謝は忘れません。明るく、心をもって、一生懸命にそして前向きにがんばってきます!



吉田 和史 【社会人】
「人生を変える」そう思って始めたアナウンサーへの挑戦でしたが、最初はなかなかうまく行きませんでした。

30歳目前にして「システムエンジニア」という全く違う業種から「アナウンサー」への転職活動。以前通っていたアナウンス学校では、自分の情熱に学校側がついてこれず、「ただのカルチャースクールでは困るんだ!」と思いながらも、半年間勉強していました。そんな時、手にしたのが永井先生の本でした。そこには、既卒でアナウンサーを目指し、内定を取った先輩のお話しや、アナウンサーとして、人として生きるために大切なことが書かれてあり、「この学校なら、自分の情熱をわかってもらえるかも知れない」と思い、勇気を持ってアナセミの門を叩きました。

永井先生は、現役の学生でも社会人でも分け隔てなく、粘り強く指導してくださいます。社会人経験があるからといって、特別扱いはしません。新卒でとりあえず入社した会社で、あっという間に6年目に突入し課長になっていた私にとって、自分の夢にひたむきな学生の方の姿が、本当にまぶしく見えました。

「自分も何も変わらないはずだ、一緒に頑張ろう」「内定が出るまで、アナ受験を続けよう」という決心がつきました。仕事が終わった後、急いで会社のパソコンでエントリーシートや作文を書き、日が変わりそうな時間に庄やさんに行くことも一回や二回ではありませんでした。そのたび先生は、遅い時間にもかかわらずチェックしていただき、「大丈夫ですよ」と励ましてくださいました。また、年の離れた私に、アナセミの仲間は壁を作らず、受け入れてくださいました。 こんな私でもアナセミの一員ということが本当に嬉しくて、同じ夢を追う仲間の存在が、どんなに仕事が忙しくても、睡眠時間が少なくても、アナウンサー受験を続ける力の源、そして日々、生きる源になりました。

私のアナウンサー受験は、永井先生、OB・OGの皆様、そして、アナセミの生徒の皆様に支えられ、一年間、全力疾走したように思います。社会人として限られた時間の中、それができたのは、全力疾走できる環境がアナセミにはあり、そして同じように夢を追う仲間がいたからだと思っています。皆様、本当にありがとうございました。そして、これからアナウンサーを目指す皆様、自分の夢に向かって絶対に諦めないで、永井先生を信じて、自分を信じて、仲間と共にアナセミで頑張ってください。

永井先生、お体にお気を付けください。そして、これからも末永くよろしくお願いいたします。

私は、沖縄の南の島で「心ある言葉を放つ」アナウンサーを目指し、一生懸命努力します。

「念ずれば花開く」



吉田 鉄太郎 【社会人】
世界一の女の子を取材した。私が勤める局のある高知県でフェンシングに励む小学生だ。一流の選手を目指している彼女の強さの秘密を監督に聞いた。その答えは「努力する才能がある」とのこと。この言葉にアナウンスセミナーの永井先生の姿が思い出された。大学既卒で特にアナウンスの経験もない私が、先生のもとを尋ねたのは25歳の時。アナウンサーになりたいという気持ちしかなかった私を「念ずれば花開きます!」と常に励まし、指導して頂いた。そして共にアナウンサー受験に挑んだ仲間たち。特に勇気付けられたのは私と同年代だったり年上の方もいたことだ。みんなに共通していたのはアガリ症だったりうまく発音できなかったりという自分の弱点を、努力で克服しようという人達ばかりだったこと。そんな環境のなかで、本当にアナウンサーになれるのかという自分の不安な気持ちが「必ずなる!」と前向きになれた。そして今でも私の心の支えとなっているのは、先生が私達生徒に注いで下さった愛だ。「明るく、心を持って、一生懸命に」先生の言葉は現場に出ることの出来た今でも自分の心を奮い立たせてくれる。自分の夢のために努力しつづけることの大切さ。そして人のために、何が出来るかといつも自分に問いつづける心。アナウンス技術だけではない大切なものを教えてくれたこの教室の出身であることは、自分のなによりの誇りだ。



吉田 奈央 【7期生】
インターネットの掲示板で「東京アナウンスセミナー」の書き込みを偶然見かけて、飛び込んだ、通称「アナセミ」。最初は先輩方のカウンセリングの様子に圧倒されて、自分には無理なのではないかという不安さえ抱きました。普通には話せていると思っていた自分の話し方も、言われてみれば欠点だらけ。声が小さい、低い音がでない、語尾は伸びる、ぼそぼそ話しているなど、はっきりいって前途多難だったのです。しかし私の欠点を、永井先生ははっきりと指摘してくださった上で、「一緒に頑張りましょう」と言ってくださいました。また受験までの長い道のりの中で、挫けそうになったり、落ち込んだりしたとき、先生は私の様子を察してか、必ずそっと声をかけて励ましてくださいました。アナセミでできた友達や先輩もいつも、アドバイスや温かい応援をしてくれました。先生や仲間の言葉に何度救われたかわかりません。そのおかげで今の自分があるのだなと思います。そして、アナウンス技術だけではなく、気遣い、言葉遣い、人とのつながり…など、どんなときも心をもって接することの大切さに改めて気付くことのできるアナセミは本当に貴重な場所だったと思います。アナウンス技術も人間としてもまだまだ未熟な私ですが、アナセミで学ばせて頂いたことで、いろいろな意味で成長させてもらったと感じています。これからも、「明るく、心をもって、一生懸命」という言葉を胸に、日々成長していける人でありたいと思います。永井先生を始め、アナセミの皆さん、本当にありがとうございました!そしてこれからも宜しくお願い致します。



吉永 龍司 【社会人】
「年齢的にギリギリアウトだね~。」
アナウンサーになりたいと思った時、私はサラリーマン生活3年目の27歳でした。一般的には「もう遅い」と考える年齢だったかもしれませんが、私はあまり気にしませんでした。

アナセミに出会う前に地元のテレビ局を受験し、あえなく1次面接敗退でしたが、そこで運命的な出会いがあったんです。「君はきっとアナウンサーになれるよ!」受験会場で一緒になったアナセミOBの方がアナウンサーのアの字も知らない初対面の私を激励して下さり、アナセミ時代のマル秘ノートを惜しげもなく見せてくださって感銘を受けました。

アナセミの中目黒に通い出した頃はもう28歳でした。アナセミの授業は厳しくも楽しかったです。授業の前日は毎回緊張したものですが、人間的に魅力溢れる先生方の熱心なご指導のお陰で楽しく通うことができました。周りは社会人の方も多く、互いに励ましあったり受験情報を共有したりしました。今でも友人たちは財産です。

年齢が原因で夢を諦める必要はありません。その事を教えてくれたアナセミに感謝しています。まだスタートラインに立っただけですが、1人でも多くの人を笑顔にできるよう頑張ります。


ワ行
渡邊 大祐 【12期生】
「自分の気持ち次第で人はいくらでも変わることが出来る」
僕はこのことをアナセミから学びました。

大学3年の12月、アナウンサー試験に落ち続けていた僕は、そこでようやく「今の自分には何かが足りない」と考えるようになりました。
じゃあ自分に足りないものって何だろう、そう考えてはみるけれど、よく分かりませんでした。頑張らなきゃとは思うけれど、何をどう頑張っていいのかが分からなかったんです。

そんな時、僕に親身になってアドバイスを下さったのがあるアナセミの先輩でした。先輩に相談していく中で、僕はようやく自分に足りなかったものに少しずつ気付き始めました。僕に絶対的に足りなかったもの、それは、周りの人を思いやる気持ちでした。「アナウンサーになりたい」、「内定が欲しい」と思うあまり、僕はいつしかアナウンサー受験を通して「自分はこうだ」、「自分はこんなこともできるんだ」とそんなことばかり自慢げに話して、自分の周りの人の事をいっさい考えない、嫌な人間になっていたんです。

「このままじゃダメだ、変わらなければならない、変わりたい」と心の底から思いました。変わらなければ夢であるアナウンサーになれないし、それに何よりアナウンサーに関係なく、自分自身、もっと良い人間に変わりたいと思いました。

20年間ずっと自己中心的で、プライドだけは人一倍高かった僕にとって、自分を変えることは、それまでの自分を否定するようでとても苦痛でした。何度も挫折して、大泣きしました。ですがそんな時、僕をいつも励まして下さったのがアナセミの先輩でした。いつも先輩が仰って下さった、「永井先生の代わりに言います。渡邊君ならきっと大丈夫」という温かくて優しい言葉は、今でも胸に焼き付いています。この言葉があったからこそ、ほんの少しなのかもしれませんが、僕は人間的に成長することが出来、夢であるアナウンサーになることが出来たのだと思っています。吉田先輩、本当にありがとうございました。

最後になりますが、どんな時も僕を見捨てずにアナウンサー内定へご指導くださった本間さん、安達さん、先生方、そして生徒の皆さん、本当にありがとうございました。 これからはアナウンサーとして、社会人として、僕がアナセミで学んだ沢山の想いを一人でも多くの方に伝えていきたいと思います。





渡邉 智世 【社会人】
 私がアナセミのホームページに辿りついたのは、内定を頂く一年前でした。大学卒業後、一般企業に就職したものの、どうしてもアナウンサーになりたいという夢を諦めきれずアナセミに足を運びました。

 私は元々サ行タ行が苦手、人前では話すことも得意ではありませんでした。しかし、そんな自分の弱点をどうやって克服したら良いのかわからずに学生時代から苦しんでいました。そんな時にアナセミのホームページに載っていた先輩方の『贈る言葉』を見て、体験入学に申し込みました。

 アナセミに体験入学した際に、授業内容がとても濃かったことが印象に残っています。その場ですぐに入校することを決意した事を覚えています。入校してからは「最低、週2日はアナセミに通う!」という目標を定めて仕事が終わり次第、中目黒へ通い続けました。
 自分自身で言うのもなんですが・・他のスクールにはない”カウセリング”のおかげで私は急激に成長することが出来たと感じています。技術以上に人間性や物事への考え方が磨かれたと思います。
 そしてアナウンサーになるために一生懸命頑張っているアナセミの仲間に幾度となく助けられました。アナセミに通い始め、時に優しく、時に厳しい言葉をかけてくれる仲間が出来たからこそ、狭く険しいアナウンス受験を乗り越えらと実感しています。

 先生方、本間さん、安達さん、OB・OGの方々、アナセミ生のみんな、本当にありがとうございます。感謝の気持ちでいっぱいです。アナセミのおかげで私は内定を頂く事ができ、キャスターとしての道を歩み始める事が出来ました。
 今この贈る言葉を読んでいるあなた。迷っている時間はありません!まずアナセミに足を踏み入れてみてください。もしかしたらその一歩があなたの夢への一歩になるかもしれないですよ。少なからず、一年前に私が踏み出した一歩はキャスターへの第一歩でした。

 最後に私の贈る言葉があなたの背中を押すきっかけになることが出来たら光栄です。 




渡邉 結城 【社会人】
およそ一年半のアナウンサー就職活動の中で、私は最終面接10社も落ち続けました。試験に落ちる度 私にはもう無理だ!向いていないんだ!と酷く落ち込みました。しかし、永井先生にいつも「渡邉さん がんばっていきましょう!大丈夫ですよー」と励まして頂き、前向きに、再び試験に挑む事ができました。あのときの永井先生のカウンセリングがなければ、精神の弱い私はあきらめて、アナウンサーにはなることができませんでした。先生の言葉は、不思議と私にやる気と自信を与えてくれました。私はこの仕事に就いて三年目になりますが毎日毎日がとても楽しく幸せです!自分がこんな毎日がおくれる事、永井先生には本当に感謝しています。これほど生徒一人一人の事を考え、暖かい愛情をもって接してくださったのは永井先生だけです。これからも遠く離れた場所で永井先生の生徒として誇りを持ってがんばっていきます。



お問い合わせ・お申し込み

火〜金:15:00〜21:30
土・日:13:00〜21:00

 (月曜定休)

03-5722-4148

メールでのお問合せ・申し込み